『週刊文春』、『週刊新潮』の二大出版社系週刊誌のスキャンダル報道が、過去にも増して世上の耳目を集めている。古今東西、政治家、芸能人、企業経営者など著名人のスキャンダルは、大小を問わず存在する。それを、自社スタッフによる独自取材に加え、社外のさまざまな関係者からの情報提供によって取材対象化する。報道に値する事実の確信が得られれば、取材内容を読者の興味を引くように調理し、読者に提供する。現在主要な週刊誌で採用されている、取材記者が分担して事実関係を拾い集め、アンカーが記事に一本にまとめるというシステムの下では、「ゲート・キーパー」理論の説くとおり、取材した情報が取捨選択され想定した筋書きに沿ったストーリーが出来上がっていく。わたしは、かつて仕事の関係でその過程をかいま見てきており、そのような週刊誌報道を筆頭にマスコミ報道には一定の距離感を持って接しているが、週刊誌の「下世話な」報道は不可欠なものであるとも評価している。 

 ジャニーズ事務所の性加害問題でも触れたが、マスコミ側の事情でスキャンダル化を抑える動きに、週刊誌はもっと果敢に攻め入るべきであるとさえ思っている。特に、最近の例でいえば、日テレの24時間テレビに関する寄付金横領事件、これも日テレだがテレビドラマ「セクシー田中さん」を巡る原作者と出版社、テレビ制作側の問題は、いずれも日テレのニュース・ショー「ミヤネ屋」では旧統一教会問題ではあれほど執拗に追い詰めたにもかかわらず、自社がらみの問題はほとんどスルーされ、他のマスコミでも腰の引けた報道に留まっている。

 お笑い芸人・松本人志氏の性スキャンダルについては、さすがに無視できずかなりのマスコミ報道が展開されているが、これは事実であればスキャンダルの域に留まらず犯罪だろうから、当然の事である。週刊文春側も告白者の言い分を100%無条件で信じたわけではなく訴訟を念頭に置いた綿密な取材がなされたものと信じているが、名誉棄損の場合の損害賠償については、じじぃにもひとこと言わせて欲しい。

 「ダイヤモンド・オンライン メールマガジン」24/2/15号で配信された「週刊文春」・「月刊文芸春秋」の元編集長、木俣正剛氏の記事を読んで、週刊誌側の本音がストレートに表れていると感じた。記事は、スキャンダル報道に走る週刊誌は名誉棄損で訴えられても賠償額は低く結局は「書き得」である、との批判に反論したものである。氏によると、週刊誌が完売しても諸経費等を控除した純利益は2千万円程度で、現在文春の平均実売率は50%くらいで、号によっては数百万円の赤字を出しているものもある、これは文春に限ったことではなく1冊完売したくらいで、雑誌の赤字構造は変わらない。そこに訴訟の費用が数百万円かかるとなれば、結局、訴訟のリスクのある事件や政治を扱わない雑誌が多くなっている。このような状況を知っても賠償金額が少なすぎると言えるのか、というのだ。

 しかし、この言い分は雑誌を作る側からの主張であり、名誉を棄損された側の痛みが全く考慮されていないと言わざるを得ない。雑誌が赤字だから高額な損害賠償金は払えないのを正当化しろというのは、人権を全く無視したメディア側の暴論である。社会的評価を棄損され多くを失った側の損害は、雑誌の利益とは何の関係もない。特許権の侵害などで経済的損失を受けた場合の賠償額は相手が不当に得た利益と密接に関係するであろうが、人格権の侵害を相手の得た利益の額と関連付ける発想は全く間違っているのである。

 マスコミは、報道される側の置かれる状況をしっかり認識したうえで、「この事実が世間に知られないとしたら正義は存在しない」という事件を暴き、いかなる圧力にも屈せず真実を報道する勇気を持ってもらいたいものだ。報道対象者の人権を傷つけるのではないかという「怖れ」と、ジャーナリストとしての「正義と尊厳」を常に胸に抱いて、マスコミの使命を果たしてくれることを期待せずにはいられない。