草苑保育専門学校 2014年修養会説教(中)

津久井湖畔のアジサイ
〈津久井湖畔のアジサイ〉

先ほど歌った讃美歌484番の歌詞を見てください。

しおりの34ページです。そこに口語訳が載っていますが、1番の

歌詞を見ると

「愛の主イエスは小さいものをいつも愛して守るかたです」

とありますね。社会のめだたないところ、ひずみやよどみのたまる

ような日陰のところにこそイエスさまの福音が必要でした。

そうです。現代の言葉で言えば福祉が行われるべきところこそ

キリスト教の活躍の場があります。

事実日本でも明治以降、保育・幼児教育においてキリスト教が果た

した役割は小さくありません。キュクリッヒ先生を始め多くの先輩

の先生方によって拓かれたこの草苑学園の歴史も、子どもたちに

手を置いて祝福されたイエスさまの言葉が今につながって作られた

ことを決して忘れてはなりません。



ここで少し私のキリスト教との出合いをお話しします。

私は1956年昭和31年生まれで58歳です。教会に行くと両親が信徒と

いうクリスチャンホーム出身の人も多いのですが、私の両親の宗教

は仏教でした。父方は真言宗、母方は天台宗だったのです。

父は中央線阿佐ヶ谷駅前商店街で小さな洋品店を営んでいました。

母も一緒に店番をしていました。


4歳になった私は神社の隣にある杉並幼稚園の2年保育に通いまし

た。

黄組の担任だった小川和子先生が私を大そう可愛がってくださり、

夏休みに海水浴にも行けない私のことを気にかけてか、熱海市伊豆

多賀の先生の実家に同級生の女の子と2人、連れて行ってくれたの

です。先生の実家の前はすぐ伊豆多賀の海水浴場でした。楽しかっ

たことを今でもよく覚えています。

小川先生はそのうち幼稚園を結婚のため退職されました。

そしてそのお相手がアメリカ聖公会に勤めており、誘われて初めて

キリスト教会の門をくぐったのです。

教会の日曜学校はとても楽しく、大学生の先生たちに大切に育んで

いただいたので、小学生の私にとって教会が生活の一部となったの

です。その後4年生の時に一家そろって洗礼を受けることになりま

した。私にとって幼稚園の先生との出会いがキリスト教との出合い

になりました。

そして去年から草苑保育専門学校の講師となりましたが、これも

何かのご縁かと思っています。

(次回に続く)