『そして父になる』を通して現代日本の家族を考える①



先日、地元のシネコンで是枝裕和監督 『そして父になる』 を鑑賞

した。

ご承知の通り、本作が第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞し

たことは記憶に新しい。


主人公大手企業の管理職として都心のタワーマンションに暮らす

福山雅治尾野真千子の野々宮夫妻。

かたや地方都市で地元の人相手に電気屋を営むリリー・フランキー、

真木よう子の斎木夫妻。

このどこにでもいるような二組の夫婦にはそれぞれ小学校に上がろう

という長男がいるのだが、なんとこの2人の子供は6年前病院で取り違

えられていた!ということが分かるところから、映画は始まる。


「子どもの取り違え」事件は、その解決に向けての二組の夫婦の行動

を通して親子にとっての二者択一を迫っていくことになる。

それは「血のつながりか、一緒に過ごした時間か」の選択、言いかえ

れば「生みの親か育ての親か」のどちらかを選ばなくてはならない

究極の選択だ。


是枝裕和監督は『誰も知らない』でネグレクトされた子どもたちを

通して家族とは何かという問いを現代日本に問題提起したが、この

『そして父になる』も世間的には勝ち組である家族と、地域社会で

ささやかに暮らしている家族との対比を通して、家族の幸せとは何か

を訴えかけている。

(②に続く、2013.10.31)