偏見は遠慮なく持とう。大事なのは…
『偏見』とは文字通り “偏った見方” を意味します。
主に、悪い意味で用いられます。
偏見を持つのはダメだと、まるでいけない子の烙印を押すかのようです。
そんなに偏見を持つのはいけない事だろうか?
むしろ、社会を生きる上で必須だと思うのです。
偏見を持っているという事は、それはそれまでの人生経験の蓄積があってこそ、生まれるもの。
蓄積してきた経験を否定すべきではない。
むしろ、自身が持っている偏見を知識の土台として、いろんな判断に活かされていると気付いて欲しい。(持った偏見が正確であることが前提だが。)
例えば、クルマの運転していて、前を走っているクルマがフラフラとゆっくり走っている、見てて危なっかしい。
その運転手が中年のおっさんだったら、“馬鹿やろう! 文句を言ってやりたい”と思うだろう。
もしその運転手がお婆さんだったらどうだろう。
年配者の運転技術は劣っているものだという偏見を持つから、“しかたがない、車間を空けて運転をしようかな”と、心にも余裕が持てるのではないでしょうか。
[偏見] = [人を蔑む(さげすむ)]
これは良くないことですが、それでも全否定はしないで欲しい。
人を疑ったり蔑むことは必然です、必要悪なのです。
大事なのは(あえて酷い言葉を用いるが)愚かな人劣った人に対して、
偏見を持つこと自体が、人として良くないのではなく、
偏見を持ってそれ (愚かな人だということ) を理解し、配慮/対応できる人間になるべきということ。(学校では教えてくれませんよね、こんなこと。)
愚かな人は当然、周りの人をもトラブルに巻き込みがち。
“偏見を捨てよ” と教えられてきた人達は、目の前のトラブルメーカーに対しても偏見を持たないようにしてしまうから、対処法が見つからず自分を責めて苦しむ。
そのトラブルも私たちは偏見を持てるからこそ、事前に対処できるようになるのです。
先程の例であげた、年配者は運転能力が劣るという“偏見”。
この偏見が持てるからこそ、私たちもイライラせず理解してあげられますよね。(心に余裕を持って対処できます)
いずれ私たちも年配者になるのですから。
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ここから以後、私が最も伝えたいことを記します。
“偏見”は必要なのだと理解して貰わないと、以後の文章は炎上しかねませんから。
アジアのある国(以後、A国と略す)の異様に見える国民性についてです。
A国の国民は全体の71.2%が人格障害者、
25%が精神病を患っています。
さらっとスゴいこと書きました。
精神病院に通う患者の71.2%ではありません。国民の71.2%です。
異常です。日本の常人には理解しかねます。私も含めて。
国民の71.2%が人格障害、、そんな風に特定の国を侮辱するのはいけないぞとお叱りを受けるかもしれませんね。
侮辱すべきではありませんが、把握はしておくべきです。
嘘だろバカげた言いがかりを言うべきでは無いと思いましたか?
でも事実です。 やはり信じられないでしょうか?
アメリカでは15%が人格障害を患っているようだとのことなので、71.2%が如何に異様かが分かります。
昔、A国は中国の属国で、美しい娘は貢物として中国に連れていかれたそうです。
数十年前までそのA国では生まれてきた女性には(量産のため?)自分の名前すら与えられなかったそうです。女性はそんな存在だった。(そのなごりなのか、A国男性によるDVは今でもよく耳にします)
なので、国に残った女性は必然的に近親相姦が頻繁に行われ、長年の常態化により劣化遺伝しているのではといわれています。(A国国民は実際に劣化遺伝が多い)
歴史背景が分かれば、何となく頷けるのではないでしょうか。(当時のA国に生まれた女性に人権は存在せず過酷だったようです)
というか、歴史背景を知らなければ、(人格障害者が多くなる地域だと) 誰にも信じて貰えないでしょうね。
因みに、71.2%という数値は、A国が自ら調査した数値です。
A国に住んでいる人にとっては、人格障害であることが常識なので自覚することがありません。
世界の人々から見て、アメリカに住んでいる人々が自国が肥満大国であるのに気付かないのと同じです。
A国の人々の多くが人格障害を患っていて、だから病的な言動を繰り返すのですが、それを知り“偏見”を持っておいて欲しいのです。
偏見を持つのを否定しないでください。
必要悪もあるのです。
彼らに近づくと火の粉がこちらに降りかかり易くなると知れば、私たちも事前に対処し易くなるというものです。
偏見を持っていれば、ヤケドしないように間合いを取っておくこともできます。
胸のうちに偏見を備えた上で、彼らに配慮もできるようになって欲しいのです。
知っておけば、心に余裕を持っていられますから。
察しが良い方はドコの国を意味するのか気付かれたと思います。
A国関連のニュースが出るたび、日本国民は嫌な想いをさせられてきました。
戦後、日本に居た彼らによって、日本人はノイローゼで悩まされました。(日本各地の駅前にパチンコ屋ばかりが並んでいた理由もそのひとつ)
恐らく彼らの71.2%が人格障害者だと知っていれば、我々日本人も大して苦しまず対処できたかもしれない。
過去、日本政府による忖度で彼らの狂った発言は掻き消されていたが、現在そのまま晒されるようになったと言ったところでしょうか。
A国政府の“代表者”が幼稚で首をかしげる発言ばかりで約束も守らない。 論点すり替えて、平気で嘘を吐く。そんなニュースが昨今多い。
しかしながら、彼らの殆どが人格障害者であるという事実を把握できたなら、対処法も見えてきます。
我々はノイローゼにならないスベを “偏見” を持つことで得て救われるのです。
言葉は悪いが所詮、人格障害者達の発言。くそ真面目な日本人はそれを必死で理解しようとして自滅… ムダに苦しんできました。
偏見を捨てろとキレイごとは言わないで欲しい。自我を守るため偏見という知識は生きてきます。(偏見の知識/内容が正しいものである必要があるが。)
どちらにせよ、A国と友好的であれと思う人は尚更、彼らの素性を知って対応を考えるべき。
病的発言には理由ならぬ“原因”があるのです。
これで昨今の、病的で不快なニュースで不愉快になっても、緩和できたなら幸いです。
何度も言う。必要な偏見は持って、対処に活かして欲しい。