私には、二歳下の妹がいます。私よりも早く妹は
祖父母に預けられていました。
祖母は、妹のことをどちらかといえば可愛がっていました。

あの頃の思い出は、裏の畑で夕方まで遊び赤とんぼと、夕焼けがとてもきれいでした。

隣の家の男の兄弟がお父さんの帰りを待ちきれず迎えに来て、ちようど
家の畑の前で、お帰りといいお父さんに、高く抱き上げられ嬉しそうに、楽しそうに家路に帰る姿を見て とても淋しく嗚咽が出るほど泣いた記憶があります。

こうして、書いていてもなんだか涙が出てきます

焏いつも ネガティブなブログですみません。
たまには楽しい煜ことも書きますね!
幼い頃の記憶は、薄暗いホテルの便座に座らせられて 便座の暖かさを不快に思い ぐずって泣いている自分 (たぶん ラブホテルだと 思います。)

母が たぶん父のお勤め中に 一緒にいた男と ただ自分の欲望のままに過ごしていた日々 なのでしょう

天丼のたれの染みたご飯を食べている 映像が
残っています。

そして、タオルを 肘の
上にきつく縛り 血管を
浮き出すために、もう片方の手で、肘の内側をトントンと勢いよく叩いてる 父の弟 子供ながらに
あまり見てはいけない
誰にもしゃべってはいけない…と感じた記憶です。
その後 私は、欲望の邪魔になったのでしょう
母方の祖父母に預けられました。
私は、バツイチの父と 七歳年下の母やのもとに 生まれました。

父は、土建会社を経営しており、オマケにその筋の人間でした。

以前結婚していた人との間には、女の子が一人おり、私には四歳年上の姉がいました。
後に父の葬儀で 初めて会い 超ヤンキーだったのを覚えてます。その時会ったきりですが…

私が 生まれ時は それは それは 羽振りが良く
父は私を溺愛しており
「ダイヤモンド」と呼んでいたそうです。
私には 父の記憶が あまりありません。
おぼろげな 記憶がかすかにある程度です。
父は、私が三歳か四歳頃その筋の抗争で、ドンパチ 皞起こし、数十年のお勤めを していたからです
父は、私が十三歳の時
脳出血で お勤め場所で、 死にました。