顔に雨が当たる感触がする。
鼻をつく焦げた臭いと雨が染み込んだ土の臭いが混ざる。
自分はまだ生きている・・・。
ロビンはゆっくりと目を開けた。
「メ・・グミ?」
両手を広げ、自分に背を向け、ドラゴンと向き合うメグミがいた。
『花のワルツ』を歌いながら。
「私の攻撃を、防いだ!?うぅ、やめろ・・・。その歌を歌うんじゃない・・・!」
苦しむドラゴンに、メグミは一歩一歩、近づいていく。
「だめだ・・・。メグミ、行ったら危ない・・・」
体が動かないロビンに、彼女を止めることはできない。
力なく手を伸ばすことしかできなかった。
黒魔術を打ち消す歌を歌いながら向かってくるメグミに、ソロモンはもう一度攻撃を仕掛けにかかった。
「それ以上近づいたら、焼き払う・・・!」
――怖がらないで
歌とは別に、心の中に声が響いてくるのを感じ、ソロモンは動きを止めた。
「何・・・?」
――私は、あなたを傷つけるつもりはない。もうこんなことやめてほしいの。ただそれだけ。
「うるさい!あなたに指図される覚えはない。来るな!やめろ!」
それでも、メグミは歌うのも歩みを進めるのもやめなかった。
不思議と、怖いということはない。
それは、自分以上に相手が怖がっていることを感じていたから。
――大丈夫。大丈夫だから
とうとう、竜の真下まで来た。
見上げると、なんと大きな体だろう。
でもこれは彼の本当の姿じゃない。
これは彼の悲しみと、憎しみと恐怖が合わさった形。
「あなたは・・・何者なのです?」
ソロモンの問いに答えるように、メグミは彼の体に触れた。
そこから、魔族が浄化されていき、ドラゴンの姿が徐々に消えていく。
黒い砂が舞う中、メグミはゆっくりと目を閉じた。
ここは・・・ソロモンの意識の中?
体がふわふわ浮いている。
周りには雲のようなものが漂っていて、物音はなく、心地がいい。
「・・・聞こえる・・・」
静かな空間に、かすかにすすり泣く様な声が聞こえていた。
地に足がつかないので、泳ぐように声のする方に向かう。
「あ・・・」
身を縮めてうずくまり、震えているソロモンの姿を見つけた。
彼は私に気づくと、涙を拭き、顔を見られないようにそっぽを向き、独り言のようにつぶやいた。
「情けない。この偉大な黒魔術師が泣いているところを見られるなど。だが、私は孤独だ。誰も味方はいない。皆私をないがしろにして、信じてはくれない。自分はいらない存在なのだ・・・。そう思うと、涙が止まらない」
彼は再び涙を流した。
当の昔に死んでいた男は、恨みの呪いをかけたばかりに、その悲しみも背負ったまま、400年余りずっとこの地で一人きり。
孤独に耐えていた。
黒魔術師は誰だって孤独だ。
それは、ゼノンを友達としている私には痛いほど良く分かっていた。
私の頬にも涙が伝った。
彼に同情したから?
けど、これは、私だけの思いからくる涙じゃない。
心の奥底から湧き上がる感情が、涙をとめどなく溢れさせる。
私は彼の隣に座り、肩をそっと抱いた。
「どういうつもりだ?私に同情するのか?何も知らないくせに」
「あなたのことは、よく知っているわ」
「何を言ってる?私はあなたとは初対面だ」
「ソロモン、こっちを見て。お願い」
訝しげに、ソロモンは私の方にやっと目を向けた。
その目に映る人物は私ではなく、彼がかつて慣れ親しんだ人物だった。
「ビアンカ・・・様?」
「そうよ。久しぶりね、ソロモン」
彼の横にはハトリック城初代の姫君、ビアンカの姿があった。
「でも、どうして・・・?」
「ずっと、この女の子の体の中に宿っていたの。彼女はわたくしの生まれ変わりだから」
「生まれ変わり・・・?」
「そうよ。彼女は特別な女の子なの」
ビアンカは微笑んだ後、真剣な顔をソロモンに向けた。
「長い間、あなたはずっとそうして苦しんできたのね。理解してあげられなくてごめんなさい。だけど、わたくしも王子もあなたを嫌ったことなんて一度もないわ。信じていたあなたに裏切られて、王子だって悲しんでいるのよ。孤独だったのなら、わたくしたちを信じて相談してくれれば良かったのに。あなたは何も告げずに姿を消した。どうしようもなかったことは分かってほしいの」
「本当に、私のことを必要としてくれていたのですか?城に連れ込んで後悔されているとばかり・・・」
「後悔するとしたら、あなたが助けを求めていることに気づけなかったこと。孤独から救うことができなかったこと。こんな形で失いたくなかったわ。本当にごめんなさい」
ビアンカはソロモンを抱き寄せ、頭に手をやった。
「今となっては、詫びることしかできないけれど、どうかわたくしたちを許してほしい。そして、彷徨える魂を解放してあげて。お願い・・・」
ソロモンはビアンカを抱きしめ、涙を流した。
「全ては、私の思い違いから始まってしまったのか・・・!後悔してもしきれません。でも、あなたはこんな堕ちた私の心を、優しく救ってくださった。本当にありがとうございます。もうこれで、思い残すことはない。私は黒魔術の呪いを解き放ちます」
そう告げると、彼は三日月形の杖を天に掲げた。
暖かい光が辺りを包み込む。
光の中で、ビアンカは安堵したようにソロモンに微笑んだ。
「許してくれてありがとう、ソロモン。ありがとう・・・」