姫の命を狙い、ロビンに射抜かれて果てたナダルが、ゴードン・レストランの件にも関わっていたことは、ハトリック城のセイルーン・アメリア姫の耳にも伝えられた。
姫は脅えたような、それでいて憤ったような顔をした。
「今回はメグミに怪我がなくてよかったですわ。にしても、死んでしまった後ですら、城下や城に混乱を招くなんて、恐ろしい男ですわ。まだ、何かしらの爪跡を残していないといいのだけれど・・・」
「アメリア様は何も心配されなくて大丈夫です。俺たちが必ず解決してみせます。あなたは、アラドラス王子の来訪に備えて、準備を進めていてください」
姫の部屋に報告に来たエルーシオが力強く言う。
アメリア姫は心底嫌そうに長テーブルに積み上げられた書類を見つめた。
「あれをあと数日の間に完読するなんて、あたくしには無理ですわ・・・。王子と会うだけなのに、なぜこんなに準備がいるんですの?」
エルーシオは、やれやれと書類の一部を手に取った。
「ここには、隣国アラドラスの歴史が書かれています。仮にも、あなたはラシュディ王子の許婚。相手の国のことを知っておかなければなりません」
書類から目をそらし、小さくため息をつく姫。
ラシュディ王子との縁談なんて、彼女にとっては全く興味のない事だった。
なぜなら、彼女はロビンを好いているから。
「あたくしは、隣国の王子と結婚などしたくないですわ・・・。まだ大人にもなっていないのに、どうして周りは急かすのかしら?誰もあたくしの気持ちなんて考えてもくれないのよ・・・」
姫が惨めでならない。
自分が彼女の気持ちを汲んであげたい。
けれど、この城では議会がすべてを決めている。
エルーシオは立場上、物事を変えられる権利を持っていないし、意見することもできない。
彼には、姫を救うことができないのである。
エルーシオは縁談訪問が決定した日からずっと、このもどかしい気持ちを抱えながら、姫のそばで仕事をしていた。
「俺にもっと力があれば・・・・」
思っていたことが、つい声に出てしまった。
「え?何ですの?何か言いまして?」
「いえ、戯言です。アメリア様、俺に何かできることがあれば、仰って下さい。俺はいつでも貴方の味方です」
姫は、エルーシオを一瞬見つめ、顔を自分の膝にうずめた。
「でしたら・・・あたくしを守って・・・」
泣きそうな声で姫が言う。
エルーシオは胸が痛んだ。
何も言うことができず、しばらく重たい沈黙が続いた。
姫がすすり泣く小さな声だけが聞こえる。
彼は悔しくて、唇を噛んだ。
――――自分が姫のためにしてやれることなんて、本当にあるのだろうか――――
「ごめんなさい。守ってだなんて、無茶なわがままを言って。エルーシオを困らせてしまいましたわね」
姫は涙を拭いて顔を上げた。
そして、資料の山がある長テーブルにつき、書類を手に取る。
「もう時間がありませんわね。お勉強に取り掛かりますわ」
言いたいことを言って、涙を流してスッキリしたのか、姫は書類に目を通し始めた。
それを見届けたエルーシオは、部屋の扉に手をかけた。
「あら、エルーシオ、もう行ってしまうんですの?」
「・・・・はい、アメリア様。お一人の方が集中できるでしょう。それに俺はやることがあるので」
姫の方を振り向きもせず、エルーシオは扉を閉めて部屋から出ていった。
宮室を出て、しばらく歩いたところで彼は不意に立ち止まった。
――――“あたくしを守って”―――――
あの言葉に、どうして答えてやれないんだ。
姫を守ると決めていたのに、どうして俺は・・・っ。
自分の不甲斐なさに嫌気が差し、思い切り壁を殴った。
拳が壁にめり込むほど。
何もできないのが、悔しくて、たまらない。
「レオナルド、そんなことをしたら利き手がダメになってしまうよ」
優しく諭す声がした。
振り向くと、ロビンが心配そうな顔をして立っていた。
彼は慌てて手を仕舞った。
「ロビン様、すいません、御見苦しいところを。今日は、予定はないのですか?」
「ううん、残念ながら予定で一杯だよ。今は休憩時間なんだ。それより、何かあったのかい?ずいぶん荒れてるみたいだけど」
彼はロビンを見て、ハッとした。
そうだ、この人ならもしかしたら・・・。
「ロビン様、恐れながら、お願いしたいことがあります」
「お、君が僕に頼みごとなんて珍しいね。何でも聞くよ」
こんなことを頼めるのは、この方しかいない。
エルーシオはロビンに自分の思いを託した。