自分の部屋に戻ると、私はアンナにハンカチを返し忘れていた事に気が付いた。
「いいや。洗ってまた今度返しに行こう。次は晴れてるといいな」
シスターという職業で、自由の少ないアンナ。
友達も満足にできず、ずっと寂しい日々を過ごしてきた。
アメリア様は今頃どうしているだろうか。
退屈してはいないだろうか。
考えれば考えるほど、私はアメリア様の元へ行きたくなった。
足はもう、宮室へ向かっていた。
呼ばれてもいないのに行っても大丈夫かな。
と、宮室の大きな扉の前に立つ二人の兵士たちを見つけて思った。
恐る恐る、兵士たちに声を掛ける。
「あの・・・、アメリア様に会いたいんですけど、入れていただけますか?」
兵士たちは顔を見合わせ、少し困った顔をした。
兵士の一人が口を開く。
「すみません。今、姫様は議会の方々から、大事な説明を受けておいでですので、いくらご友人の方でも、お通しする事はできかねます」
もう一人の兵士も済まなそうに言う。
「どうか、今回はお引き取りください」
アメリア様も、忙しいときはあるんだ。
ちゃんと、姫としての仕事もしてるんだ。
なのに私は、まだフルートの力を使いこなせてもいない。
廊下を進む足が止まる。
急に自分が情けなくなった。
よし、次はゼノンの所に行こう。
フルートの練習に付き合ってもらおう。
それと、カノンがしゃべるようになった理由も聞いておかなくちゃ。
私は足早に西塔へ向かった。
「ゼノン、いるかなぁ」
ドアをノックする。
中から声はなかったが、代わりにドアが勝手に開いた。
普通の人ならここで大いに驚くだろう。
私も最初はそうだった。
今となってはもう慣れっこになってしまったが。
「お邪魔しまーす。ゼノン、いる?」
しばらくして、奥のほうから声がした。
「いますよ。少し手が放せないので、椅子に掛けて待っていて下さい」
今日は皆、忙しそう。
私は言われた通り椅子に座り、部屋の中を見回した。
テーブルに置かれてある、読みかけの小説に目が留まる。
「“白魔術と黒魔術”。うーん、難しげな小説」
失礼とは思いながらも、その小説を少しめくって読んでみたが、専門用語が多すぎて内容がさっぱりだった。
すぐに飽きて、テーブルにそれを戻した。
案外、一番退屈しているのは自分なのかもしれない。
「することなくて、困ってるって顔だな」
足元に、カノンがやってきた。
ずっとこの部屋にいたなら、話しかけてくれればいいのに!
「どうせ私は暇をもてあましてるプー太郎ですよ」
「・・・言ってる意味が良く分からないが、教会に連れてってやった甲斐はあったようだな。少しは元気になったんじゃないか?」
そういえば、今朝まで悲しみのどん底だったのに、今はそうでもない。
アンナのお陰だ。
その前に、カノンのお陰か。
「うん。シスターに話を聞いてもらったら、落ち着いた。それにね、シスターとお友達になったんだよ」
「ほー。そりゃあ良かったな。友達つくりすぎて、俺の主人を放ったらかしにするなよ」
大きな目を細めて、カノンが冗談半分に言う。
思えば、ゼノンもこの城でずっと孤独と戦っていた。
私こそ、ロビンがハトリック城に受け入れてくれていなかったら、きっと一人きりで寂しかったに違いない。
だから、私は誰も一人にはしたくない。
一緒におしゃべりして、笑って、同じ時間を楽しく共有したい。
元の世界に戻るまで、いっぱいいっぱい、本の世界の皆との思い出を作りたい・・・。
「お待たせしました。おや、カノンがメグミさんの相手をしてくれていたんですね」
ゼノンが奥の部屋のカーテンから出てきた。
カーテンの間から一瞬、赤い光が見えたので、また何か魔術チックなことをしているのだろうと思った。
「ゼノンさぁ、カノンに何か魔法かけたでしょ?」
魔術書を閉じながら、ゼノンが面白そうに笑う。
「ネコがしゃべってびっくりなさったでしょう。でも、魔術を施したのはカノンにではなく、あなたです」
「え、私に?」
「はい。失礼とは思いながら、先日お会いしたときにこっそり。わたしと同じ、猫語が分かる術を。・・・ご迷惑でしたでしょうか?」
私は首を横に振ってゼノンに満面の笑みを見せた。