以前に大人計画が再演したものの、結局観に行かなかった作品。観に行った後輩が『阿部サダヲとタガメちゃんの……が、』って言われてどんな作品だよと思い、購入。

セリフが松尾スズキらしい。らしいっていうか、松尾スズキなんだけど、キレイとか知ってるとその時期の作品かなって思ったり思わなかったり。


天才は、無意識に面白い構造を作り出すんだろうね。うん。後半にかけてのうねりは出色。まあ、なんか使いきれてない感タップリの役も多くあるけど、それは大人計画だから。

まあ、農場に宗教、跡継ぎと来て、脳が追いついた瞬間がたまらない。しかも、裏切られてたまらない。

つうか、みんな変態だ。まあ、本人達はなんとも思ってないだろうが。あ、ちなみに役者方ね。
ベッドシーン頑張りましたって言ってる女優は女優じゃないです。アイドルです。駄目なアイドルです。事務所に守られてるから。

素晴らしい女優は何も言いませんっていうか、変態になろうとしてる変態はいませんから、まあ別に見せ場を単純に楽しむんじゃないですかね。



とりあえず、疲れた。
うちの演劇部の顧問の先生がいつかやりたいと言っていた作品の1つである『ゴジラ』作 大橋泰彦を読んだ。(あとは野獣降臨らしい。だが、野獣降臨は野田秀樹連れてこないと厳しいだろうな~)


実に演出のしがいのある作品である。言い替えれば、演出なしには完成しえない作品である。バランスも重要だ。下手に狙いすぎると、脚本の持つ骨太な哀しさを損ねてしまうし、逆に哀しさを強調しても、この脚本の持つゴジラのフィクション感を曖昧なものにしてしまう。


これは、上智の後輩に『やれるものならやってみな?』って言ってあげたい。
役者は難しい。特にゴジラ。誰よりも人間らしく、誰よりも業を背負っている。昔の脚本ならではの心情を表す長ゼリフもある。しかも、ト書きには『ゴジラの目は、その身体とは裏腹に、どこまでもやさしい』というのまである。


最近、役者が上手いと思わせる脚本が減っている。役者の上手さがないと成り立たないが、それよりも演出の手を見せる芝居が多いように感じる。
たまには、難しい台詞と闘ってみてもいいんじゃないだろうか。
生活が落ち着いてきたので、また始めようかと思ったりして。

引力。

引く力。じゃあ、引かれる力はなんだろう。円運動は引かれる力があれば、ある程加速するんだよなぁ。

一本の曲線が、ただの曲線が幾千も連なって大きな一個の球が見えてくる。その円運動する曲線は、引かれる力があって初めて、美しい球形を描くことができる。


今、『わが星』を観ました。もちろん、DVDですが。音、空気が画面で欠落してるのが残念だが、それでも充分に面白い。

それはモチーフはもちろん、柴さんのもつ愁の表現の巧みさだろう。悲しさでも、哀しさでも、寂しさでも、虚しさでも、切なさでもない、ただ、誰もいない体育館に声が響きわたるような、その……愁なんだうな。


まあ、言葉は少ないに限る。それは無言でなく、無口でなく。
俳句に趣があるように、なぞかけに頷くように、小さなことにこだわる必要がある気がします。

それが、時間、空間に制限がある舞台ならではなんだろうな。人間の想像力ほど芝居を面白くするファクターはないんだろうな。それを引き出す力がある人間が面白いんだ。引かれる力、惹かれる力、魅力だろうな。