自分の子どもは生まれた瞬間から、

親のあり方を見せてくれている。


氣づかせに来てくれている。


氣づくまで、これでもか!というくらい

ただただ再現してくれている。


相手は鏡だが、自分の子どもは

誰よりも鏡だ。


だから、自分の子どもをよーく観察する。


一つ一つの行動、一つ残さず全ての発言、

行動が鏡である。


そしたら、深い自分に氣づく。

自覚的には、ほんのちょっぴり程度と

思っていたことが、潜在では

こんなに思っていたんだと氣づかせられる。


自分でも、知らなかった自分を知る。


自分の潜在に眠っているものを

覚ましてくれる。


なのに、親はそのことに氣づかずに

これは、子ども本人の意思で

やっていることだろうと思っているうちは、

そのことに、氣づいていないということ。


子どもの行動、発言を否定したいことは、

それは自分の中で、

否定している(受け入れられない)こと。


子どもは、いつまでも

サポートしてくれるわけではない。


子どもという神様のサポートがあるうちに、

自分自身に真剣に向き合うのみ。