12月25日、世間はクリスマスですが、我が家は4度目のゆめの月命日でした。

どうしても去年までのことを思い出してしまいます。
毎年クリスマスのプレゼントを喜んで嬉しそうに遊んでいた姿。声。
今年はなにが欲しい?と聞いても返ってこない。
プレゼントを開けても喜ぶ声が聞こえない。
今年も我が家には3人の喜ぶ声が響くはずだったのに。どうしてゆめはいないの?

毎年クリスマスから年末にかけて、クリスマスプレゼントを選んだり、親戚が集まってワイワイやる時期。
今年は全然違う。
クリスマスプレゼントを選びにいけば、同じように選んでいる大人がいて、きっとみんな子供達の喜ぶ姿を思いながら、選んでいる。
我が家も同じく選んでいても、今年は違う。
ゆめはこれが欲しかったかな?こっちかな?
もう少し大きくなったらこんなの選んでたのかな?
その場にいればいるほど辛くなる。
仏壇に置いておけるようなおもちゃを選んだけど、よかったかな?
わからない。


親戚が集まって、ゆめの大好きな従兄弟達も集まってみんなで遊んでいる。
どうしてゆめの姿はないの?どうしてゆめの声が聞こえないの?
そんな思いに蓋をして、子供達を見ている。
長男次女が従兄弟達と遊ぶ姿にも、この中にゆめがいれば、さらに微笑ましい光景だった。
なんて、なるべく考えないように。

でもその中で自然にゆめの話題を出してくれることは嬉しい。
忘れられないことが嬉しい。

姿は見えないけれど、きっとゆめも一緒に遊んでいたね。
昨日の夜実家から家に帰ってくると、かけてあった長男の服が誰も触れていないのに、動いたり、ドアが勝手にあいたり、すべて偶然なんだろうけど、ゆめいるの?って思って、閉めるよー、なんて声をかけてみたり。
たまには遊びに来てくれてたらいいなぁ。
こんなに離れ離れなのが信じられない。
去年までみんなに囲まれていたゆめがいないことが辛い。
人が集まれば集まるほど。