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臨津閣
日本統治時代の朝鮮
1910年(明治43年)8月29日の日本による韓国併合から、1945年(昭和20年)9月2日
の日本による対連合国降伏まで、35年以上にわたって日本の統治下にありました。
第2次世界大戦後の朝鮮
1945年第2次世界大戦での日本の敗戦にともない、朝鮮半島はアメリカとソビエト連邦に北緯38度線
で分割占領されるようになりました。
1948年には北(朝鮮民主主義共和国)と南(大韓民国)で別の国家が誕生、分断化されてしまいます。
1950年北朝鮮が南進し、朝鮮戦争が勃発します。
その後1953年には休戦協定が結ばれ、(軍事境界線)があらたに設けられました。
このラインの南北2kmが共同警備区域(JSA)として管理されている。
2018年、南北首脳が板門店で歴史的会談をし休戦から終戦にむけて協議が行われました。
1953年から現在まで北朝鮮と韓国は休戦状態のままです。
この戦争は朝鮮内で起こった内戦扱いのため、北朝鮮と韓国の境目は「国境」とは呼びません。
「軍事境界線」と呼びます。
首都ソウルから軍事境界線まで約50kmしかありません。
また韓国の道路は広いです。4車線、5車線が普通で
直線が多いです。
これは戦争のためです。
有事の際、韓国から北朝鮮方面にトラック、戦車、兵士を送りやすくするためです。
このあたりが戦争状態の国であることを感じる
ことができます。

DMZ(Dmilitarized Zone)非武装地帯
軍事境界線から2Kmをお互いの非武装地帯としています。このエリアは軍隊を置いたり、武器を設置するこはできません。
戦争の最前線となっています。
もし戦争が始まるならこの場所からです。
軍事境界線に近づくには
①臨津閣公園内から見える場所(臨津河手前まで、自由の橋)
②ロープウェイ(臨津江を渡ります。展望台から北朝鮮の様子が見れるかは微妙)
③DMZツアーに参加(北朝鮮が掘った第3トンネル見学、展望台から望遠鏡、カメラなどで北朝鮮の様子
を見ることができます。)←我々が行ったのはこれ


バスツアーのチケット売り場



平和のリボン
北朝鮮と韓国の統一の願いや平和への祈りが書かれています。


戦時中の機関車
日本統治時代、分断前に朝鮮半島を往来していたSL
統一を願うシンボルとして展示されています。
50年以上非武装地帯に放置されていました。
銃弾を受けたあとが残っています。













自由の橋
1953年に休戦した時、韓国と北朝鮮で捕虜の交換が行われました。
韓国の軍人約13,000人が捕まったのですが、
この橋を渡って帰ってきました。
その時「自由万歳」と叫んだと言われています。
現在は自由とは裏腹に不自由の象徴と
なっています。
平壌につながる鉄道のレールでしたが、分断されています。
もしつながっていると韓国−平壌−中国−ロシア−ヨーロッパへのレールでした










自由の橋
左の白い橋は上記の茶色の自由の橋とつながっています。
この橋は朝鮮戦争後にかけ直された橋。
戦争前は右側の橋がありました。
現在は橋の脚だけの状態になっています。
この橋は朝鮮戦争中に北朝鮮軍の進行をくい止めるために、韓国軍が自ら爆破しました。


赤印は戦時中の銃痕


