どうやら2.26事件も鎮圧されたし、コロナも収束の方向に向かいつつありそうなので、たんたんと20世紀切手の吟味に打ち込んでいけそうです。
さて、今回第7集ですが、動乱の後、日本社会はどういう展開を辿って行ったでしょうか。
先ず発行された下の切手を見て戴いて、何をあらわしているか分かりますか?
国内で近代に起こった代表的事象の数々です。
と言っても、初見で全部が全部お分かりになる方は先ずいらっしゃらないでしょう。
個人的には野球とD51デコイチが好きなんですが、吉川英治の文学も人間形成には欠かせません。
それでは、解説文を読み解いていきましょう。
①「大言海」大槻文彦
国語辞書「大言海」は国語学者大槻文彦が編纂した「日本辞書ことばのうみ(言海)」の増補改訂版として、1932年(昭和7年)に第1巻が刊行され、その後の国語辞書の範となった。
大槻文彦は1928年(昭和3年)に稿半ばで逝去したが、兄の大槻如電が遺稿を引き継ぎ、全4巻が完結した。
②東京音頭(楽譜表紙)
1933年(昭和8年)、西条八十作詞、中山晋平作曲の「東京音頭」が発表された。
この曲は、前年に発表された「丸の内音頭」の旋律と「小原節」の前奏をそのまま取り入れ、発展を続ける昭和初期の東京を唄で描いて大ヒットした。
1964年、東京五輪のテーマソング(古賀政男・作曲)としても有名。
③エノケン一座
エノケン(榎本健一)の「金色夜叉」と「エノケンの青春酔虎伝」
1929年(昭和4年)浅草のレヴュー劇団「カジノ・フォーリー」の旗揚げに参加し、1932年(昭和7年)「エノケン一座」とし、映画や舞台で活躍「日本の喜劇王」とも呼ばれた。
④ ⑤ プロ野球結成
結成当時の米国遠征試合風景
1934年(昭和9年)、第2回日米野球の全日本チーム母体として、大日本東京野球倶楽部が結成され、翌年には米国遠征を果たした。1935年(昭和10年)には大阪タイガース、1936年(昭和11年)には名古屋、東京セネターズ、阪急、大東京、名古屋金鯱が誕生し、7チームによって日本職業野球連盟が創立され、初のペナントレースが開催された。
⑥忠犬ハチ公(生前のハチ公と初代の銅像)
忠犬ハチ公は、飼い主である東京帝国大学の上野英三郎博士の帰りを、松濤から毎日駅前に迎えに行っていたが、博士が急逝した後も改札口で待ち続けているという記事が「いとしや老犬物語--今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」と題して新聞に掲載されて一躍人気者、いや人気犬となった。
1934年(昭和9年)には東京・渋谷駅前に帝展審査員の安藤照が制作したハチ公の銅像が建立された。発行当時の銅像は1948年(昭和23年)に再建されたもの。
⑦「宮本武蔵」吉川英治
初版本「地・水の巻」と肖像
1935年(昭和10年)、作家吉川英治による「宮本武蔵」は新聞連載小説として始まった。
当初200回完結の予定だったが、回を重ねるごとに人気が高まり、途中7カ月の休載をはさんで、1939年(昭和14年)まで1013回に及んだ。
連載をまとめた単行本は1936年(昭和11年)から刊行された。
⑧ ⑨ 蒸気機関車D51登場
最初のD51 背景は吹田機関区(大阪府吹田市)に整列するD51
1936年(昭和11年)、D51型蒸気機関車の製造が開始された。
D51は輸送量増大に応えるために開発されたもので、日本の代表的蒸気機関車として、1945年(昭和20年)までに我が国最多の1,115両が製造され「デゴイチ」の愛称で親しまれた。
⑩リュウキュウカラスバト
沖縄諸島、北大東島、南大東島の森林に生息していたリュウキュウカラスバト(学名Columba Jouyi)は、1936年(昭和11年)の南大東島での採集記録以後、記録が無いため、この頃絶滅したものと考えられている。
絶滅の原因は、生息地の森林が開発により減少したことや、カラスバトよりも大きく捕獲しやすかったためと言われている。
<シート余白部分>
雪原を疾走するD51
[感想] こうして改めて観て見ると、カリフォルニア1州よりも小さなこの一国ながら、実に色んな価値観、考え方が有って、それぞれ生き方、生き甲斐、生き様など多彩に夢中になれる人生がある。というパンドラの箱ではないが、ほぼ自由ではないかと思えて来ました。
具体的に申しますと、当初自らの先入観だけで切手を見ていたのが、興味が無いものでも解説文を読み進んでいくうちに、成程と納得する事象事例も多々発見することができました。
つまり、見た目だけで判断すると人生の本質を見失いがちになりかねん。ということを学んだ次第。 (吟)

