<第一部> ビギナー編
先ずクイズから
Q1. 怖くて臭くて美味いもの、何でしょう?
Q2. 高くて暑くて、情報が洩れている杜撰な国は?
A1. 鬼が便所で饅頭食ってるところ
A2. 日本 (物価高騰、温暖化、マイナンバーカード不信拡大、廃止へ)
、
国内に目を移すと、こちらでも頑張っています。
「いきいき茨城ゆめ国体」(コロナ禍前)選手・監督の案内スタッフの方々。
皆さん気さくな方々で、I さんは、わざわざ遠く離れたシャトルバスの乗り場まで一緒に歩いて案内してくださったり、また女性スタッフの方は、
こうして、さりげなく「セーリング競技会」開催している地元の売り込みも忘れません。
そして、シャトルに乗ったら、今度は、バスの運転手さんが、地元の誇り「霞高」の話を、鼻も、声も高らかに仰るし、こちらも胸が躍る思いで、「あの桑畑みたいなのは何ですか?」と訊いてみた。すると運転手さん、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、
「あれは、蓮根畑です。ここ土浦、阿見町は全国一の蓮根出荷量です」と、目を輝かせて鼻も大きく膨らませて、花高々に地域自慢されるのには、この地域は、霞ヶ浦・予科練の如く善意の蓮根で繋がっている人たちが多いのだなと言う印象を強く持った。
これが現代。
で、荻原浩の「僕たちの戦争」の如くタイムスリップすると……
予科練ではセーリングという敵性語は使わず、「帆走訓練」、カッター漕ぎは短艇漕ぎ」。
で、今のように自由の光に向かってヨーソローではなく、世界恐慌の中、国の存続を求めて決死の影の挿す自己犠牲的美学の青春でもあった。
だからこそ、多くの英霊たちの分まで、今度のパリ・オリンピックに繋がる、国体、ワールドカップ等で国力の充実、結集が試されるのではなかろうか。
それにしても、予科練の特攻精神など人命を人命とも思わない異様な状況は、どういう精神状態にあるのか……
探ってみた。
そして……
それらしき、痕跡が見つかった。
それは、新撰組である。
それを筆者の見方で具現化してみる。
<第二部> 成人向け 「新撰組内務班」(前篇)
時代は桜田門外の変やそれに続く坂下門外の変などで幕府の権威失墜。逆に水戸浪士、土佐勤王党などが意気盛んなご時世。
弱腰幕府政権のなか、公武一本化の筋を通そうと公方様が朝廷から攘夷決行の勅許を得る為に上洛するので、ついては将軍警護の浪士を募るゆえ腕に覚えのある者は申し出でよ。という幕府のお触れに応じて参集した芹沢、近藤ら浪士組は清河らとは袂を分かち京に残り、守護職会津藩お預かりの治安部隊・新選組となった。
朝廷が置かれている京では尊王攘夷の風が吹き荒れ市内の治安、秩序が大いに乱れていた。
勤皇倒幕熱に浮かれた志士、公卿たちが京を跳梁跋扈暗躍していたのである。
奉行所、京都所司代だけでは手に負えず会津候の京都守護職預かりのもと新選組として京の治安取締りにあたった。隊の統率も執れてきて一目置かれる戦闘集団となった。
先だってもほれ、八月十八日の政変で長州藩士や長州系の公家の横暴が目に余り、孝明天皇がご英断下されたいわゆる「七卿落ち」で長州系公卿及び尊攘派を京都より追放。
このとき会津藩預かりの新選組、芹沢鴨局長以下の働きが会津藩容保候のおぼえめでたく褒賞金を賜った。
それに気をよくしたのか調子に乗ったのか配下の副長・新見錦は勝手に金策をするし、酒乱癖の新選組局長・芹沢鴨は揃羽織代260両の掛取りに来た太物問屋菱谷太兵衛の妾、一説には盆暮れ女房と言われる元島原遊女お梅を白昼堂々手籠めにするわ、新選組に献金しない尊攘派びいきの豪商大和屋に対し芹沢派は腹に据えかね業火で大和屋を焼き討ちさせるなど、御所近くでの放火は危うく逆賊になりかねず、この頃はすでにもう正常な判断ができかねるほどの酒毒に犯されていたのか。
消火せんと駆け付けた所司代、奉行所を隊士に通せんぼさせて芹沢らは焼け落ちるまで見届けていたと云うことだ。
近藤一派はこの騒ぎに居なかった。別の場所、方法で軍用金調達の為に相撲興行を催していたという。
この焼き討ち事件にはさすがの会津容保候も怒り心頭に発し、天然理心流の試衛館派に局長の芹沢を斬れと下知した。
そうなれば先ず芹沢の腹心の副長・新見錦を局中法度に照らし勝手な金策(公金横領)をしたかどで近藤派数人が囲み詰め腹をきらした。
新選組の局中法度書にはこうある。
一、士道にそむくまじきこと。
一、局を脱するを許さず。
一、勝手に金策をいたすべからず。
一、勝手に訴訟取り扱うべからず。
一、私闘を許さず。 以上の条々相背き候者、切腹申し付くべく候也。
そして近藤勇と土方歳三は京島原の揚屋角屋を総揚げして新選組全隊士数十名に及ぶ大宴会を催し芹沢一派を油断させようと企んだ。どうやら決別、お別れ会の意味もあったらしい。
ただし、今夜の仕事がある自派各組長には酩酊を許さず、と土方から内密に指令が飛ぶ。
八木邸に帰隊し呑み直し、泥酔昏睡した芹沢鴨を一番隊組長・沖田総司らが寝込みを襲い、布団ごと白刃を突き刺した。何本も何本も。
さすがに恰幅のいい鴨だけあって串刺しになっても刀架の剣をとろうと太い腕を伸ばした……ところで息絶えた。こうして隊の粛清をはかった近藤一派であった。
そういう内部事情もあってか局中法度(隊の規律)により脱走者や士道に背く者をことごとく切腹させ、非情の幕府方取締り集団としての求心力を高めなければ市中見廻りで不覚を取り、京に潜伏する不逞浪士を一掃できないと戦慄していたのであろう。
一定の戦力を確保するためには、当然ながら事あるごとに隊士を募集し、度胸があると認められれば適材適所に、また非番時は道場で各自腕を磨く日々に追われた。
禍福は糾える縄のごとしと言う言葉がある、塞翁が馬と置き換えても良い、八月十八日の政変で長州系を一掃し、うかれて大宴会の後内紛などしておる場合ではなかった。物事にはなんにでも反動という物理現象が伴うものである。窮鼠猫を噛むでもいい、圧縮され逆にしぶとく生き残りをかけて死にもの狂いの過激な勤王志士の集団を増殖してしまった。
探索方の山崎烝から緊急連絡が入った。
手負いの志士となった長州など西国の脱藩浪士が焼け糞になって京の町を焼き払うというようなことを聞いてきた。という。どうやら長州勤王党の一味は敗色濃厚となって一か八かの大博打に打って出ようというのだ。で、風の強い宵を選んで御所に近い風上から火を放つという。大文字焼きか。いや、京の町ごと焼き払うという大それた計画のようだ。
京の治安をまもる新選組の名に賭けても阻止しなければ、これまで御厄介をかけていた容保候をはじめ帝や京の町衆に申し訳が立たない。
いつ、どこで、だれが集まるのか。それに焦点を絞って怪しい動きをしている者を片っ端から捕えて調べているうちに、四条寺町の道具商、桝屋喜右衛門が浮かび上がった。
密偵の山崎烝がホームレスに化けて張り込んでいたら、捜査線上にある熊本脱藩で勤皇の志士・宮部鼎三の出入りを確認したので、新選組の所属長である会津藩に許可を得て武装した隊士ら数名が桝屋に踏み込んだ。
桝屋喜右衛門は密書や血判状など焼却隠ぺいしようとしていた。が、店内には大砲や小銃、弾薬などぞくぞく出てきた。
屯所に引っ張って行き、取り調べにあたって「拙者は古高俊太郎である」と言ったきり黙秘権を行使してしまった。
Sぎみの土方歳三が火責め水責めで拷問を繰り返す。一刻が経ち二刻が経ったが、未だ口を割らない。
新選組の存亡をかけて自白させようと、古高の足の甲に五寸釘を打ち込み血管に蝋のただれた熱い液体を流し込んだ。
これには堪らず、とぎれとぎれに知っているいつもの集まり場所とメンバーの名を吐いた。
そのいつもの寄り合い場所は四国屋と三条小橋の池田屋であった。人数は三十人前後という。
その席で御所の風上に火を放って、守護職、所司代など幕府側要人の暗殺と帝を奪い長州に遷移させるという大それた計画の実行計画を練る予定だった。
これには新選組はもとより会津藩一同驚愕した。
そして会津藩には応援援兵を要請し宿御用検めの踏込み許可を得た。
非常呼集と公用以外の外出禁止令が出された。
武器庫から槍、胴鎧、着込み、鎖帷子など出され、それらを着用、装着し、鉢金をつける者、襷を架ける者、目釘を検める者、等々緊張に包まれた新選組屯所であった。
戌の刻を過ぎた。守護職や所司代からは何の知らせもない。
これ以上応援の援兵を待っていたら奴ら散会して見失ってしまう。
やむを得ん我等だけで踏み込む。
やがて「松平肥後守御預 新選組宿」と大書した檜の看板を背にして新選組局長・近藤勇の訓辞が始まる。
「これより不逞浪士の一斉取り締まりに出動する。が、油断するな。奴らは追い詰められて何をするか分からん。京の町に火をつけかねん。会津藩からはなるべく捕縛しろとの沙汰であるが、抵抗する奴は斬っても構わん。ただ、取り逃がして京を火の海にするな。(一同を見渡して) 分かったな」
「おうっ」
「総司と藤堂、永倉、原田、谷、武田、安藤、奥沢・・・・・は俺と一緒に池田屋に行く。あとの者は土方副長に任せる。歳さん四国屋を頼んだぞ」
「うむ」
六尺四方赤地に白抜きの誠を染め上げた隊旗を掲げて京雀にデモンストレーションなのか隊士34名が山形浅葱色の揃羽織で目指すそれぞれの標的である旅館に向かった。
祇園通りから三条通へと進んでいく。それらしき不穏な空気はない。今日ではないのか?
鴨川の湿気と柳の混じった宵のせせらぎが鞘音や草履の音と共に耳をさらさら流れる。
ともすれば気の重くなる重圧を打消し士気を鼓舞するようにいずこからかともなく祇園祭の祭囃子の稽古なのか笛の音や太鼓の音が聞こえてくる。 こころなしか勇も多少弾んでくる。
もしかしたらもうあの白い柔肌を吸えなくなるかもしれん。深雪太夫……。あれは佳かったな。ふふふ。 ふとよぎった。
いかん。この先の事に集中せよ。敵は何人だ。それによって配置を考えなきゃならん。 ザクザク・・・・
江戸に置いてきた義父・周助翁が病に倒れ妻のつねが看病の毎日だという。これも何とかしなきゃ……。そうだこんなところでやられるわけにはいかんな。
きょうを精一杯死力を尽くして踏ん張らんと明日はないな。
やらなきゃやられるだけのことだ。
道場剣なんかに負けられるか、桃井が何だ、斎藤弥九郎が何だ、千葉が何だ。こっちは実戦の天然理心流だ。修羅場をくぐってきた場数が違う。
これらの葛藤が走馬灯のごとく瞬時に勇の脳裏を駆け巡った。
足が止まった。
池田屋の前の往還に着到した。辺りは鴨川の涼風を団扇で煽ぐ町衆が表店の灯明りに照らされて談笑している。
池田屋の階上を見上げると奥の楼に2、30人の長州志士らしいのが集まって談義しているのが窺える。
内から古高がどうのと喚いている。
勇は隊士を見回し、素早く配置を指示した。
「沖田、永倉、藤堂、踏み込むぞ。原田ら後の者は表口と裏口を固めろ」
「はっ」 と言って散った。
四人は股立ちを取って入口からつかつかと土間を通って裏階段に向かう。見取り図は頭に入っている。
近藤勇が奥へ通る声で「主人はおるか、ご用あらためでござる」と、土間に響き渡る。
八方に目を配り、上ろうとすると亭主の惣兵衛が階段のところへ駆けつけて、急ぎ大声で階上に
「みなさまお調べでございます」「みなさま……」
「どけっ」と勇が亭主の頭を拳固で殴り飛ばした。亭主は気を失った。近藤勇は階段を駆け上がった。
志士の北添佶磨が「おう、桂ぁ来たか」と奥座敷の襖を開けて階段の手すりまで出てきた。
~字数制限につき、以下次号(8月11日金曜、正午)につづく~
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