皆さんお変わりないですか?
幸い、私の周辺には感染者もなく、感染拡大など、どこの国のことかと訝しんでもおります。
もっとも、3密を避け、カラオケや、接待を伴う飲食はもとより、不要不急の外出も謹んで、じっと感染状況が鎮静化するのをひたすら待っておる日々です。
ただ、ありあまるこのエネルギーの遣い道ですが、
私のモットーとする文武両道、つまり知能の研鑽と体力鍛錬で、いずれの筋肉、筋力を養うのはもとより、いざと言う時の為に気力の充実や、学力の柔軟性はレジリエンス(弾力・回復力)性が試されてもいるように思えます。
しかし、それはカラヤンによって脆くも傾いてしまいました。
そう、あの Herbert von Karajan のCD「カラヤン ベスト101」を視聴して、世の中にはこんなすごい人間がいるのか……と絶句してしまいました。
なにが凄いかって、よく101曲も憶えて、しかもひとつのミスもしないで、オーケストラをコントロールして変な音一つ出させないで……
だいいち、あの管楽器一つにしても、ちゃんとした音が出せるだけでも大変なことなのに、しかもちっこいオタマジャクシの位置を読んでその通りに音を出せる……それだけでも凄いのに、よくまあこんなに大勢の音の出し入れ、調整が狂わずできるものだ。……まさに神業だ。
こういうプロ中のプロの楽曲、とくに名曲をきいていると、コロナなんかに負けないぞ!という気持ちが湧きあがってくる。
たとえば、ハンガリー舞曲、ボレロ、G線上のアリア、セビリャの理髪師、ワーグナー・ヴァルキューレの騎行、双頭の鷲の旗の下に、チャイコフスキーピアノ協奏曲、交響曲の英雄や運命、第9の合唱、アイーダ凱旋行進曲などで気分昂揚させれば、酒や煙草など無用だし、健康にもいい。
妥協を許さない緊張感が、邪念を吹き飛ばし良心的なイマジネーションを掻き立てるのだろう。
それに、こういう曲を聴くと懐かしさも醸し出される。
いつだったか昔聞いたような旋律に、五感の琴線が刺激されるのだろうか……。
自転車乗るのと同じで体が覚えているのだろう。
小学校の運動会に、あれは多分「ラデツキー行進曲」で入場し、「カルメン・闘牛士」だったのではないかと思われるが、刷り込みで闘争心を掻き立てられるようなBGM、さらにピストルで「よーい、どん!」とやられてはウサギさんでなくても走らないわけには行かないだろう。
そういう懐かしい曲に巡り逢えて、そういえばブラバンやってたあいつ、今頃どうしてるかな?とか……。
秋だな。
おや、いつのまにかセンチメンタルになってしまった。
あちゃ、タイスの瞑想曲になってしまった……。
いかん、コロナの誘惑に負けては……。
塚口直史の
「コロナショック後を生き残る
日本と世界の シナリオ」
副題「今、国難に際して
日本が取り得る道は?」
を読んで、この日本を再び救わなければ……。
さて、今日はこれまで。
それでは、また。 (吟)