ねえねえ、読んで。 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!


これはやはり、エッセイの部類に入るんだろうな。 雑談のような他愛のないおしゃべりみたいなものだから。


ただひとつの事柄について多角的に物事を考えるのはそうわるいことではないし、人間の考える事だから、こういう考え方をする人もいるんだと人間の役目をあらためて知るもとにもなる。


ブログを綴るのもたれかに思いや考えをつたえたいというおしゃべりににた表現欲求があるからで優等生、劣等生に関わらず、もとい、鳥や動物だって求愛行為や自己表現は花でもしている。



で、今日は先日の講義でおもしろいことを言った講師のある言葉がなぜか今私の脳裏に打ち上げ花火のように今開花しているので考え直してみたい。



それは福祉の授業で若い現代的な女性講師だったが、授業中のふとしたセリフにこういうのがあった。



「そうそう、剣道だったらバンバン相手を叩ける」



なぜかそのセリフが妙にいまだに活きている。講義内容は何だったのかすっかり記憶にないが。


それほどリアリティがあったのでしょうな。


そのかたが何らかのフラストレーションの最中だったのか。


またその考え方が我我武道をたしなんだ者どもとは全く違った角度からの捉え方で新鮮だったのか。


いやいや剣道に対して何の予備知識もないというか、あるいは剣道は相手を叩く者だという勝手な観念で歴史も礼儀もない解釈、曲解にあっけらかんとした思いだった。


こういう人が、新人類なのか。


いやいやそうではあるまい。


その講師はただ単にうけ狙いでわざとそんな軽はずみなセリフをはいたのだろう。


でなければスポーツ文化に対する冒涜で、あさましい感情論だけに生きている意味のない人生ではないか。



成長の価値観が違うのか。


こころの成長を重視しないから”いじめ”とかがあとを絶たないのではないのだろうか。


と、こう申してもお分かりいただけないかたには丁寧に順をおって説明するしかない。


つまり、日本も昔は多くの犠牲のもとに武士による秩序だった社会で成り立っていたわけで、「菊と刀」や「甘えの構造」、「武士道」など読むと概念的に多少は理解もできようが、その秩序を維持するのに日中韓で理解しあえる儒教精神で構成されていた面もある。


その儒教精神は日本の道徳、モラルのもとになっている人間としての基本的な考え方で礼や忠孝など美徳の在り方を示した基本方針。


その中には、弱い者いじめなどは強い者のすることではない、恥ずかしい愚かな事だ。とも掲げられており、それらがいつの間にか軽視され今日のような問題が浮上してきつつある。



俗にいう「かっこいい」が単なる表面的、一時的なウケやほかに良質の表現ができない代わりの安直な感嘆詞のつもりで云ったとしても、そのうち内面的な”こころ”のかっこよさとは何かを向上心があれば分かる時が来るだろう。



と、意外な人種に出くわすたびに日本人のゆくすえはどうなるのか、綿々と続いてきた日本の伝統の美学は。



多少うすら寒く、軽いノリ女講師の発言を思い出すたびにおかげでヒヤッとさせていただきました。



しかしどうせ寒くなるなら、「心頭滅却すれば火もまた涼し」 こっちのほうでありたいもの。