外側に表れているものをつかまえて

 

これは良い これは良くない

 

そう判断するのは そう決めているのは

 

いったい 誰だろう?

 

 

生まれて 生きて 消える

 

その流れの中で

 

これは成功 これはダメ

 

そんなふうに ジャッジするのは

 

いったい 誰だろう?

 

 

たとえばさ

 

人を故意に貶めたり

 

人を故意に傷つけたり

 

これは確かに良くないと思える

 

 

でもなぜ良くないかと言うと

 

そうすることで他者が傷つくうえに

 

本当はいちばん傷つくのが

 

実は 自分だったりするから……

 

 

自分の弱さを認めないから

 

せめて他人を貶めたくなる

 

そして相手のせいにして傷つくんだ 結局

 

 

あるいは そうすることを選んでいる人に

 

仕返ししたくなったとしても

 

ねえ つまり

 

相手と同じ土俵に立たなければ 気が済まないってこと?

 

同じくらい ひどくならなきゃ ダメかな?

 

 

弱い人ほど(それを自分で認めたくない人ほど)

 

相手より 上の立場になろうとして

 

誰かを 自分より見下そうとしていく

 

 

そんな相手の『流れ方』に付き合って

 

自分も労力を使って 疲弊することって

 

自分にとって 周りにとって

 

かなり「苦しいこと」なのは

 

たぶん間違いないのに

 

そのシーソーゲーム ずっと続けていくのかな?

 

 

たくさんの人が毎日 惑わされる

 

(もちろん私も例に漏れず 惑わされる)

 

でも ムムッと思って やり返すと

 

その瞬間 その相手と同じレベルに落ちるから 

 

後々まで 不快感が残るんだよね……小さなことでも

 

よくできてるわ こういう仕組み

 

 

自分にとって イヤなことをする人には

 

関わりをなるべくもたない 

 

相手の問題は相手のものだから 相手に返すと決める

 

その面においては 同質に落ちずに

 

私は 距離を置く と

 

徹底的にきちんと覚悟を決めるのが

 

大切なんだなあ と 改めて思えるわ……

 

 

たとえそれが どんなに身近な人であってもね

 

自分を守れるのは 自分なのだから

 

私は それに付き合わなくていいし

 

ましてや相手に 同列で対抗しなくていい!

 

上でも下でもなく ただ並ばすに距離を置く

 

相手に すべてをお返しすると

 

(仕返しでなく受け取らないと)決めていいんだ

 

 

2018_08_11_1

どこに立つかも

どこに向かうかも

つまりは自分次第……

 

Photo by Myriams-Fotos

Pixabay

 

 

 


昨日のお昼間に、私がこれまでいろいろ

お世話になっていた方が、虹の橋を渡られました。


私が、このブログを始めることになった、

そのきっかけをつくってくださった方でした。

木元見春という名前も、

 

その方の助言がヒントとなり、

 

見つけることができました。


彼女もアメーバブログをやっておられたのですが、

ご病気のことは一切、語られず、

いきなりご入院のお知らせが記事に上がったのち、

 

約1ヵ月ほどで旅立たれました。


そのことを知ったのは今朝で、

私はそのまま仕事へ向かい、

気持ちを感じることを止めていましたが……。


気持ちを解放してみた今は、

二度とお会いできない悲しみと寂しさはあれど、

 

結論としてはありがたかった、としか、

言いようがありません。


楽に生きる、という視点のヒントを、

たくさん、たくさん、頂戴しました。

スピリチュアルという看板は

掲げておいででしたが、

それよりもまず、人生のカウンセラーであり、

教師……というか、師としての愛で、

人の持つ愛的なものを引き出されるべく、

サポートを行われた方でした。


私が今、ここでこうして言葉を紡げるのは、

間違いなく、この方のサポートの力が

いちばん大きいです。


ゆうさん。

お疲れさまでした。

どうぞ今はゆっくりと、

おやすみになられてください。

そしてこれからは宇宙から、

私たちを見守っていってくださいね。


私も、自分がやれることを、やっていきます。

本当に、ありがとうございました。

ご縁に、心から感謝いたします。


2018.7.27
木元見春


2018_07_27_1
Photo by PublicDomainPictures

Pixabay

 

 

 


例えば、なんだけれど。


愛してるんだから、
これくらいしてくれるのは
当たり前でしょう?

と、相手の疲れを想像できず、
上から目線で「権利」を押し付けて、
家族なんだから、恋人なんだから
こちらの相手をしろ、私を癒せ!

とやっていたら……。
パートナーに対して、は、もちろんのこと、
それが親に対して、でも
子に対して、でも、
相手は単なる重荷にしか、感じられなくなる。


そのときなぜ、

相手が「疲れていること」や

相手が「感じていること」は
無視出来るのだろう?

ちょっとくらいは、当たり前?
でもそれを毎日、押し付けて、
他のやり方を「選択させない」のであれば、
そりゃあ相手は、外でも家の中でも
「自分らしいくつろぎ方」を実践できなくて、
疲れが溜まる一方になる可能性が、高まると思えるわ。

あなたの「くつろぎ」になる方法が
相手にとっても「くつろぎ」になるとは限らない……。


そこを、押し付け合わないよう、
ていねいに、すり合わせしていくのが
「努力」という名も半分くっつく
「思いはからい」、または
「歩み寄り」になるのだと思う。

少なくとも、「愛」を
水戸黄門の印籠のように振りかざし、

「こうするのが家族(恋人)ってものでしょうが!」

を相手に叩きつけたら(あるいは叩きつけられたら、
相手にすがり、または、すがられたら)、
その「やり方そのもの」のせいで、
反発される、したくなるのは
一人の人間として普通のことだと、
私には思える。


愛から生まれ得るものを、
権利として振りかざす方法。
そうやって、
わざわざ重たくしてから使わなくても、
もっとステキで心温まる使い方が
できるのにね、その印籠って。

しかも、そうしないと不安なのは、
自分が、自分のこと、
バカにして軽く扱って、
要するに「信じてない」から、だ
(信じられない、という思い込みを、これ以上
言い訳にするのはやめよう。
そもそも、自己の行動と本質は、別ものだから)。

相手からもいつかそう扱われる(に違いない)!
って、自分の思い込みを投影していく限り、
他者との、心からの信頼関係は、
立場・性別に関わらず
結びにくいままになりますぜ……。


先に止める必要があるのは
自身のその、思い込みのほうで、
分かってくれる誰かを
探し当てることではない、と、
私はね、そう思うよ。


ということで、
そんなふうに、印籠を
わざわざ重たくして扱っている例を
1つ、挙げておくね。

これがなぜ、相手にとっては辛いのかを、
感じ取れますように。
短縮URLで張っておきます。
2ちゃんねるまとめです。


◎【1/2】
http://ow.ly/oF4V30kXFFX

◎【2/2】

http://ow.ly/BPJE30kXFIe

 

2018_07_16_1

ひたすら重たくし続けて

扱い続けていくの?

それが正しいやり方、とか?

 

Photo by  Arcaion

Pixabay