外側に表れているものをつかまえて
これは良い これは良くない
そう判断するのは そう決めているのは
いったい 誰だろう?
生まれて 生きて 消える
その流れの中で
これは成功 これはダメ
そんなふうに ジャッジするのは
いったい 誰だろう?
たとえばさ
人を故意に貶めたり
人を故意に傷つけたり
これは確かに良くないと思える
でもなぜ良くないかと言うと
そうすることで他者が傷つくうえに
本当はいちばん傷つくのが
実は 自分だったりするから……
自分の弱さを認めないから
せめて他人を貶めたくなる
そして相手のせいにして傷つくんだ 結局
あるいは そうすることを選んでいる人に
仕返ししたくなったとしても
ねえ つまり
相手と同じ土俵に立たなければ 気が済まないってこと?
同じくらい ひどくならなきゃ ダメかな?
弱い人ほど(それを自分で認めたくない人ほど)
相手より 上の立場になろうとして
誰かを 自分より見下そうとしていく
そんな相手の『流れ方』に付き合って
自分も労力を使って 疲弊することって
自分にとって 周りにとって
かなり「苦しいこと」なのは
たぶん間違いないのに
そのシーソーゲーム ずっと続けていくのかな?
たくさんの人が毎日 惑わされる
(もちろん私も例に漏れず 惑わされる)
でも ムムッと思って やり返すと
その瞬間 その相手と同じレベルに落ちるから
後々まで 不快感が残るんだよね……小さなことでも
よくできてるわ こういう仕組み
自分にとって イヤなことをする人には
関わりをなるべくもたない
相手の問題は相手のものだから 相手に返すと決める
その面においては 同質に落ちずに
私は 距離を置く と
徹底的にきちんと覚悟を決めるのが
大切なんだなあ と 改めて思えるわ……
たとえそれが どんなに身近な人であってもね
自分を守れるのは 自分なのだから
私は それに付き合わなくていいし
ましてや相手に 同列で対抗しなくていい!
上でも下でもなく ただ並ばすに距離を置く
相手に すべてをお返しすると
(仕返しでなく受け取らないと)決めていいんだ
どこに立つかも
どこに向かうかも
つまりは自分次第……
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