自分のことを 弱いと思うのは

「本当はそんなふうに 自分を否定したくないのに」

という気持ちが奥底にあるからだ

自分のこと 好きでいたいんだよね 本当は

その気持ちがあるからこそ ダメだと思えたときに

私って(俺って)弱い そんなふうに「結論」づけたくなるんだ


そんな自分を誰かに認めて欲しいのも

他者に「あなたは良いところもある 大丈夫だよ」

と言ってもらうことで それを介して

自分を 許したいから なんだ

(だからときどき そう言ってくれない人のことを 逆恨みなどする

そして恨んだあとで また 自分を非難して落ち込む)


そのとき その他者は あなたの奥を映す鏡なんだ

「自分を許せない自分」のことを

また 自身で 怒って 泣いてる

それが繰り返されてきたんだ 今まで


ねえ どうして 弱いところがあったらダメなのさ

なぜ超人じゃないとダメなのさ

そこまでは望んでいない とかいいながら

他者に好かれ 他者を自分の思い通りにできることに

密かに憧れていたりしないかな?

(それが命令でなく お願いという形であったとしてもさ)


たまに聞く話として ひとつ例に挙げると

「私は あなたの言うことにできるだけ従っていきます

だからあなたも 私を傷つけないで

私だけを見て 私を大切に扱って

2人きりの世界で お互いだけを見て生きていきましょう」

という駆け引きを要求するパターン

傷つけ合うのが怖い と言いながら

実は『自分が傷つくこと』を恐れて

他者に無理なお願いをしているのに

それを愛だと勘違いしてしまう例


それ 愛でなくて要求だし

そんな条件突きつけるのって 駆け引きでしかない

信用 信頼 を そんな要求ではぐくむことはできない

なのにすぐ「信じてたのに」「信じてくれないのね」

という話にすり替えるんだ


いや そんな要求が通ることを信じていたら

人生そのものが 辛いことの重なりになるよ

相手が ひとりの独立した人間であることを

私は無視します っていうお願いだからね

(山奥か孤島で 2人きりで永遠に自炊生活でもしない限り

その要求で安心して満たされないから)


こんなふうにね 自分に弱いところがあることを

いつまで経っても嫌い 許さない人は

親密な人間関係 つくれないんだ

だって はぐくむもの だからね

 

信頼って お金で買えないし……


あなたが今 見つめ直すほうがいいのは

自分に弱いところがあることを なぜ私は認めて許さないのか

なんだよ……

そちらのほうが 断然 先なんだ

その弱さは あなたのホントの強さにも 

実はつながるんだよ……? 

なのにまだ 責め続けて生きていくの?

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Photo by Soorelis
Pixabay


 


人の批判や悪口を言って

ご満悦になっている人に

その瞬間の「自分から出ているもの」に

気づいて欲しいな と思ったことがあった


その人の そのときの表情が 

色で言えば「黒」だったんだよね

心の狭さが露呈する みたいな感じ


そして露呈していることに

ご本人が いちばん 気づけない


……と思っていたら

気づいた姑さんの話が見つかって

おお 自力で気づける人もいるんだ と 安堵した


今まで読んだ話の中には 

姑さんがお嫁さんに対して まさに意地悪している最中に

 

その姑さんの顔つきを見た実の娘(つまり嫁にとっては小姑)が

おかしくなっちゃった話もあってさ

切ないなあ と思ってた

その実の娘さんが 子どもの頃 イジメにあっていて

「お母さん あのときのヤツらと まったく同じ表情してる」

と フラッシュバックを起こしてしまい

お母さん(姑)に似ている弟(嫁の夫)の顔さえ

見られなくなってしまった とかね



快感を得ながら人を貶めるとき

 

その醜い表情って みんな同じような顔つきになるよね


他者を非難することで 自己を満足させる人

(そして「私は正論を言った 良いこと言った」と胸を張る)

そのすべてが 実は 正論って訳ではなくて

やり方や価値観の違いなだけ だったりもするんだ……


そしてその「違いなだけ」の場合は

言ってる人のほうが「悪口大好き!」人間に見えて

実際に そのときの その人の顔つきは

決して誉められたものでないことも あるんだ……


つい最近 チラリと ね

身近で そういう例に出逢って

ああ 「正義」のつもりの 悪口大好きって

こういうことか……って感じてもいた


だから 自分で自分の醜さに 気づける人がいることは

よかったと思えるよ

記念にリンク 張っておく


◎トメ「あ~今日も嫁いびりしてやったわぁ~」「(ん?鏡??)」「…」「(誰よこの醜い顔は…)」→トメ「嫁子さん、ごめんね」→嫁子さんがトメを更生させた方法とは?
http://shurabanote.com/archives/27756920.html

他者は 自分の鏡になり得るってことでもあると思う

 

 

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Photo by YvetteNatuurfotografie

Pixabay

 

 

 


最近、気づいたことなのだが、

私は他者の話を聞く際に

「(話の中に出てくる)相手がどれくらいひどい人間であったか」を

聞きたいのではなくて

「あなたが、相手の言動をどう受け止めたのか、

なぜそれをそう、あなたは受け止めたのか」の

部分で聞きたいのだなあ、と思えた。


意味が、分かるかな?

誰かが、他の誰かに何かを働き掛けたとき。

例えばAさんとBさんがいて、

この2人の間でちょっとしたトラブルが起こったとする。

そして私が後日、Aさんから、

その出来事について聞くことになった際、

Bさんが、いかにひどかったか、の説明には、

あまり興味がないのだ。


それよりも、Bさんの言動を、Aさん自身はどう受け止めたのか、

具体的には、どんなときにどんな言動を、

Aさんはどう受け止めたのか、

そしてなぜ、Aさんはそう感じたのか、

を、知りたいと思えた。

だって目の前にいるのが、Aさんだから。


すれ違い、というのは、

双方の感覚(常識やら、受け止め方やら)が違うときに起こる。

でも、私はそのとき、Bさん側の感覚については、

知ることができない。

なのでAさん側の感覚を、知りたいと感じられる。


でもこれは、気をつけないと、

Aさん側に「私のほうが悪いと責められるのか?」

 

などと受け取られる可能性も含む。

なので、質問する際には、

言葉も、質問する雰囲気も、気をつけるよう意識している。


そしてなぜ、私がそう思うようになったかというと、

 

私の中にある感覚で、

相手のことは、相手自身にしか分からない、という点、

相手は、何をどう受け止めようと、相手の自由である、という点、

この2つが、明確化してきたからだろうなあ、と。


他者が何をどう感じるかについては、興味があるし、

それを話せる相手がいることは、ありがたいと思える。

でも他者批判は必ずそこに想像も含む

 

(他者本人には確かめられない)から、

 

キリがないし、疲れるなあ、と思えたのだ。


幸い、私の周りには、自分がどう受け止めてどう感じたか、を

メインにして話してくれる友人も多くて、

それゆえ、話してスッキリ、前向きになって終わる、ということも多い。

話すほうも聞くほうも、お互いの学びとなるし、

 

改めて未来へ向き直せる、というのかな、そんな感覚になる。


特に親しい友とは、日常的にそれをやれているので、

わりとこまめに、こんなことがあったー、聞いてー、が

できていて、ありがたい。

大きな出来事がない場合でも、そのためにお互い、

何となく定期的に会ったりもしている(笑)


で、これ、何がラクかと言うと、

誰か何かのせいにしなくても、すむのよね。

コントロールできないものに対して不満を言い続けるほど、

疲弊することはないと、私には思える。

不満ほどの直接的影響がなくて、批判であっても、

やっぱり重たいものが残ることがあって、後味が悪い。


さらに、他者の言動を、

「そう受け止める自分がいる」ことを、

ゆるす練習にもなる。

で、それがイヤなら、こう考えることにしましょー、と

切り替えることもできる。そのヒントも、相談できたりする。


そこで何が起こるかと言うと、

次に同じようなことが起こっても、

自分が動じなくて済むようになっていく。

具体的には、ショックを受けたり、

怒りを感じたり、とっさに言い返したくなったり、が減る。

言い返したくなるのは、ときに、

自分自身をごまかすための言動だったりもするからね。

そういうのから離れて、

状況と、

自分の感覚、感情と、

相手の感覚、感情を、

全部、分けて見ていこうとする、

「幅」みたいなものを、自分が持てるようになる。


そうすると、少なくとも激高はしないで済むのだ。

以前より振り回されにくい、というのかな。


あと、そう感じる自分、を責めるのは、

事態を「悪」だと決めつけているとか、

はなから自分を責めていた、

「その点における自分は悪い人」と

 

勝手にずっと決めつけてきたから、

 

の場合も多いように思う。


別にね、まあ、よろしくはないけれど、

 

ま、仕方ないか、自分も人間のひとりだし。


くらいになり始めると、それが幸いして

 

本当に自分でイヤだと感じる部分は、

 

徐々にやめていけるようになる。


否定し過ぎる=とらわれてがんじがらめになっている、

だから、そんなことに時間を使うほうが、よほどもったいない。


……と、とりとめのない話になったが、

こんな感覚的なことを、書きとめておく。


これらは、ていねいに、またいつか、説明してみたいと思うけれど、

今日はこういう書き方で、必要な部分が、必要な人に、届きますように。


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