舞う。
いや、踊らされる。
そこに意志は無い。
吐き出された紫煙が。

風に踊らされる。
重力に踊らされる。

その舞いに意志は無い。
その動きは意志を持ち舞うように見えても、
アルゴリズムで解析可能なものに過ぎない。

非存在。
無の証明は有の証明よりも難しい。
故に、人間は有を妄信することが出来る、
無が証明されない限り。
自らの行動を。
意志を。
何も選択していないのに。
何も思考していないのに。

指向性の欠けた存在の集合が指向性を持つ。
社会。
集団が個に指向性を与える。
与えられたものを自らの生産と妄信する。

濃度差に逆らい、高濃度に移動する分子を集合として無視する。
拡散。
分子は濃度差に従い、低濃度へと流れる。
そんな傲慢。
それが社会か。
指向性の無い個の集合が、個に指向性を与える。

関係性を断ち切るものだけが、自らの指向性を創造できるのだろう。
世の中に選択肢は沢山。

どれが最適解なのかは、未来予測不可能性から分かることはない。

だから僕は選択肢に悩むより、選んだ選択の中で頑張りたいなぁと思う。

うん、今の内定でいいじゃん。
その中で頑張ろうよ。

と内定ブルーを振り切るw

ダメな気がする。

小手先の対応ではなく、
もっと根本からドラスティックに変革し、チャレンジしないと。

でも、それだけの勇気のない自分がいる。
他人の責にする自分がいる。
環境の責にする自分がいる。

「変える」には、まずは自分が「変わる」必要があるのだろう。

変わりたい、変わりたい、変わりたい。

変わることを切望する。
いや、望むのではなく、願うのではなく、

しなければいけない

と思う必要があるのだろう。

変わろう。