書庫に今日久しぶりに行きました。

僕は、書庫の匂いが好きです。古い紙とインキの匂いがまじった匂いが。


僕は、ここで丁寧に資料を調べる、学ぶ楽しさを知った気がする。半年前、靖国関連の資料を集めた。30年前の雑誌や新聞を調べ、書籍を探し、議論の経緯を丹念に調べた。人間は平気で30年前はおろか、10年前のことまで平気で忘れたふりをする。しかし、紙面に刻まれた歴史は決して嘘をつかない。電子媒体と違い書き換えられることは決してない。電波媒体のように流しっぱなしで、流した本人が忘れたふりをすることも難しい。

紙に書き記録することの重みを書庫は教えてくれてように思えた。


書庫に行くと、学生してるなと、なんとなく感じられる。とても幸せな気持ちになる。こういう気持ち、学ぶことの楽しさを大切にする姿勢は卒業しても大切にしていきたい。


ところで、今日は久しぶりに知事リレー行ってきました。

去年までの先生は、一度も講義でなくてもAくれましたが今年は勝村先生なんで無理そうですね。とってないからどうでもいいけど。

ゲストは松沢神奈川県知事。主催者が気にくわんかったがたまには真面目に講演聴こうかと行って見ました。

流石は政経塾出身。演説は実にうまいです。今ひとつ響くもんがないが。以前、ある区長選で政経塾出身の候補の選挙ボランティアをしたとき、応援に来た松沢さんにあったことがあります。奥さんがとても美人だったのを記憶してます。


メインの話の一つが道州制の話(そのほかに、マニフェストや政治における現場主義=市民との対話の大切さのお話がありました)。税を含めて殆どの権限を道州に移し競争を生ませる事で政治のダイナミズムが出てくると知事は言う。道州のもっとも大きな役割は産業経済政策だという。

これでは、確実に地方は地盤沈下すると僕は思う。なんで、手をあげて聞いてみました。経済の弱い東北州はこまるではないかと。豊かな地域の税金を地方に分配する国家の機能が低下すれば、格差論争の中で最も深刻な地域格差が拡大するじゃないかと。

知事は、細切れの道州制は確かによくないが、例えば四国と中国を合わせれば、四国だけでは産業も弱いが中国地方も合わして瀬戸内州にすれば広島岡山が入る。そうすれば、十分やっていけるという。東北も北関東をあわせたかたちなら大分違ってくるともいう。

ダメだと諦めるのではなく、道州制によって生まれる政治のダイナミズムに期待しようという。北海道なんかも大変な観光資源がある。十分可能性があると。


いいたいことわかりましたが、僕は全然、納得しません。

という態度がわかったのか、知事の返答が終わったあと司会の勝村先生ぼくの名前呼んでもういいですかと仰りました(マイク返してんだから、二の矢はつげませんよ)。もしかして、先生僕の名前覚えてくれてたんでしょうか。だったら嬉しいです。

ダイナミズムは結構ですが、地方は知事が思ってるより状況は厳しいと思います。首都圏はいいでしょうが地方はそんなダイナミズムとやらにかける余裕はないでしょう。瀬戸内と北海道の話で知事は観光観光と仰ってましたが、観光だけではこの国は食っていけません。

政経塾の人は現場主義という言い方が好きだが、本当にそうでしょうか。地方をきちんと歩いているのでしょうか。政経塾系や民主党の若い政治家は都市部のことしか考えてない気がする。この国は決して、一様ではない。貧しい地域もあり豊かな地域もある。田舎と首都圏では進学率も大きく違う。現代社会は大きく地方と中央で差がつきやすい社会だ。


松沢知事は、都会のことしか考えてないんではないだろうか。

東京湾に港湾が多すぎるという指摘をして、港の統合や役割分担をすべきと話していた。そのとき、ジョークだろうが木更津のような漁港があれば十分というところにまで大きな港ある、と発言していた。木更津の隣の君津市に新日鉄の大規模工場があることを知事はご存じないようだ。日本の技術力と高度成長の象徴たる新日鉄君津工場と六百万千葉県民への重大な侮辱でもあると思う。言うまでもなく、新日鉄は重厚長大の製鉄業の会社。原材料の輸入や製品の出荷のため大きな港が必要だ。新日鉄は君津の工場内にも専用港まである。更に木更津港も使いやすくする為君津市や木更津市は、新日鉄の道路交通法上、公道を走れない特殊な大型車両が君津と木更津港の間を行き来できるような特区を作ろうともしている。


会場の学生の多くも笑ってた。関西の学生にとっては木更津とは、漁村のイメージなんだろう。そして、神奈川の知事と学生にとって漁港は嘲笑の対象んなんだろう。千葉には、新日鉄君津工場があり、新日鉄とは正に、「鉄は国家なり」の時代からの「物づくり日本」のシンボルであり誇りだった時代などもう、だれも憶えちゃいないんだろう。

僕は千葉の中学・高校だった。中学二年のとき千葉南部の館山での林間学校の途中で、新日鉄君津工場を見学した。技術者の父が、こう言った「この国を支えてる人たちの仕事をきちんと目に焼き付けて来なさい」と。エンジン屋の父の製鉄業の仲間への同じ技術屋としての最高の敬意の表われの言葉だったんだろう。

新日鉄君津工場は、NHKのドラマ「大地の子」でも出てくる。中国残留孤児の主人公陸一心が、中国で製鉄の技術者として出世し日本の工場に視察に来る。「改革開放路線」を謳った鄧小平の主導のもと工業化を進めるため、日本に製鉄業の技術を学ぶ為研修にくるという設定であった。この時、一心は製鉄会社(勿論モデルは新日鉄)に勤めている実の父に偶然再会することになる。

正に、製鉄業は時代とともにあった。


田舎を馬鹿にし、自分たちの住む都会のことしか考えられない政治のダイナミズムなどいらない。


道州制は地方の切捨ての方便に過ぎない。

都市部=首都圏の税金を都市の人間にだけ使わせるシステムをつくろうとしているだけだ。地方と都市部が支えあって生きていくのが国ではないだろうか。今までのように、都市のお金を地方にもって行き、道路やダムばかり作る無駄な公共事業中心の政治は行き詰っているのは事実だ。しかし、だからと言って地方を切り捨てるべきという議論にはならない。都市から地方への富の分配システムを透明化すればよいだけだ。長野県は既に、ダム作りは止め、道路などの公共事業を完全競争入札に改め透明化に成功している。

森林や田園を守る地方は必ず必要だ。経済効率のいい首都圏だけが国家の富を独占するのは許されない。そんなことをすれば、金にならない森林の整備や農業や漁業は更に廃れていくだろう。


道州制による競争原理による政治のダイナミズムもいいが、政治の基本は弱い立場のひとへの思いやりではないだろうか。やさしさを失った政治など、剥き出しの暴力に過ぎない。


政治において物差しは一つではない。

税収の多寡だけでは図れないものもある。田舎の森林整備や田園風景を守る農業という経済効率は低いが日本人の精神文化の幹に関わる重要な事業もある。これを守るのも政治の役割だ。税収の多寡以外に物差しのないものが、都市から地方への富の分配を軽視し、地方も自然や田園風景で観光という名の金儲けをし自分で食っていけと言う。美しい自然も田園も彼らにとっては、観光という金儲けの手段にしない限り、価値なきものと判断されているようにさえ見える。


田園や森林という日本民族の精神文化を育む原風景を地方が守る。その為に、経済的に恵まれた都市部がある程度の経済的負担をする。

それが、まともな国の姿ではないだろうか。和の国日本は、共助の国である。地方と都市を分けるのではなく共に助け合う共助の姿こそこの国のあるべき姿ではないだろうか。