今日は図書館に行きました。

久しぶりに、真面目にお勉強。英語の勉強がてらジャカルタポストという英字紙の訳を作ってました。


昨日は皆さん御心配おかけしました。今日から気持ちを切り替えて勉強に励んでます。ノ-スさんに思ったより落ち込んでないなといわれました。お気遣いありがとうございます。

友人というのは本当にありがたいものです。

Sさんにも今日の朝電話で報告。こちらも暖かく励まして下さった。何かの縁なので、いつでも困ったことがあったら連絡してきてかまわない、まだチャンスがあるし期待してるからと言われました。ありがたい限りです。ご縁なので、大切にしたいと思います。

人間うまくいってないときほど、ひとさんのありがたみを感じるものです。


皆さんほんとうにありがとうございます。



で、今日の朝はテキサスの母から電話。昨日、メールで報告したんですが、四月にY社なんて話がうますぎる、皆早稲田とか慶応とかなんだからとへんな励まされ方しました。おいしいもん食べて元気を出せといわれました。あと、お金は困ってないかとか。親というのも本当にありがたいもんです。




さて、今日ノースさんと話してたんですが今日はバウチャー制度について書きます。



普通公教育というと税金で学校を作り教師を雇い、無料か無料に近い形で国民皆が平等に学校に行けるという制度です。つまり、税金が公立学校を通じて国民に公的サービスとして還元されているわけです。


それに対し、バウチャー制度は公的サービスを受ける人つまり学生・生徒・児童(以下学生とします)に、バウチャーといういわばクーポン券を配ります。このバウチャーというクーポンを持って、公立でも私立でも好きな学校に行って学費代わりに学生はバウチャーを学校にわたします。そうすることで、学生が学校を選ぶ範囲が広がるわけです。


例えば、今公立高校生一人当たり50万円の税金が使われてたとします。バウチャー制なら、この高校生は50万円分のバウチャー(クーポン券)をもらって好きな学校に行けます。例えば、70万円の学費がかかる私立に行きたければ50万円分のバウチャーを学校にわたして、20万円分だけこの高校生の両親は自腹をきってはらえばいいわけです。学校は、この50万円分のバウチャーを文部省なり、教育委員会なり(つまり政府や市役所や都道府県庁 以下政府とします)に持っていけば同額の現金に替えてくれます。もし、行きたい私立の学費が50万円なら全く自腹で払わず私立に行ける訳です。もちろん、公立を選んでもいい。学校は直接政府からお金を貰うんではなく、学生に選んでもらって、バウチャーを集めてからそれを政府に持っていかなければ公立高校でも一銭ももらえなくなります。


公立高校はもし誰もその高校に来てくれなかったら全くバウチャーが集まりませんから政府からお金をもらえなくなります。私立の学校のように潰れる学校も出てくるかもしれません。つまり、教育に競争を入れましょうというお話です。


こういう考え方のもとになっているのがアメリカ的な保守主義です。(市場原理主義と全くイコールではありません)

アメリカの保守は、「お金の使い方は国民が一番知ってる。税金で集めて政府が使うのはよくない。」と考えています。ですから、バウチャー制のように納税者が直接税金の使い方を決めることの出来るシステムを考えるわけです。


僕は、市場原理主義や競争を絶対視するアメリカ的な考え方は嫌いですがバウチャー制のような国民=市井の普通の人の良識や判断を重んじる考え方は大好きです。お金の使い方、それも公的なお金の使い方を政府や官僚だけが決めるべきではなく、できるだけ納税者であり公的サービスの受給者である国民一人一人が決めるべきと考えるからです。


教育という分野で考えれば、そもそも、なぜ税金を集め公教育をするのか。その目的は、単に貧しい家の子も富めるものの子も皆等しく学ぶチャンスを確保する為です。ならば、お金持ちから沢山集め、貧しい人からは少しづつ集めた税金を、同じづつ子供たちの教育の為に使えばいいだけの話のはずです。教育の機会均等のため子供たちが教育を受ける為のお金がどの子も平等に配分されれば言いだけの話です。教育という公的サービスを提供する主体がお役人=公務員である必要は全くないはずです。


また、バウチャーは選択肢を広げます。学校同士が競争し、多様な教育サービスが提供され、そこから学生は公私の区別なく自由に選べる。


僕はそういった意味で、バウチャー制を推進すべきと考えます。