私:サラリーマンを卒業(求職中) 

 妻:介護福祉士

 父:軽度の認知症、実家で一人暮らし

 母:数年前に亡くなる




ご訪問ありがとうございます。 

本日もよろしくお願いします。

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母を一人で在宅介護していた父だけど、


肉体的にも精神的にも限界が来て、

もう母を抱えることも出来なくなったとき、


母は、訪問介護に頼るしかなくなり、

ヘルパーさんが家にあがることを許容した。




今までは訪問介護を頑なに拒否し、

介助のすべてを父に依存する生活だった。


気持ちの上でも父に依存するしかなかった。


父は出来る限りのことをしようとしたが、

気持ちだけでは、介助はできなかったのだ。




そして、大急ぎで訪問介護の契約をし、

ヘルパーさんによる母の介助が始まった。


朝昼晩の3回の排泄介助がメインで、

時間があれば、その他の介助もしてくれる。


僕は隣の部屋で、聞いていたのだが、


母はヘルパーさんと談笑しつつ介助され、

一見すると、何も問題ないようにも思えた。



ただ、

母の拒否から許容への急激な心境の変化や


父以外から介助される母の本当の気持ちは、


その当時の僕は、全く思いが至らず、


父が解放され少し楽になれて良かった、

僕もSOSが減り、呼ばれなくなるかな、


そんな気持ちが優先したのは、確かだった。




しかし、状況は急変した❕




訪問介護を始めて、安心していた最中の、

わずか1週間後に、母は亡くなったのだ。


父の胸に抱かれながら、

ゆっくりゆっくりと呼吸が停まっていった。




残念❕無念❕


母の心を知ることは永久にできない。


父を介護から解放する旅立ちだったのか。


頭はしっかりしてたから、

尊厳の一部を失って悩み苦しんでいたのか。


「なぜなんだ?」

「まだ、これからだったのに?」




母が亡くなって、1年半経って、

あの日の疑問の答えは見つからないが、


もう、みんなで前を向いて生きているウインク




いま、

母さんに伝えたいことがある。



そっちでは、ゆっくり出来てるのかな?

痛みや不自由から解放され、自由だよねウインク


父さんは認知症になってしまったけど、


寂しさをグッとこらえながら、

苦難を乗り越えて、元気に暮らしてるよニコニコ


あなたにまた逢えるときを楽しみに、

あなたの大好きな薔薇の花を咲かせるため、


もうしばらく、こっちで、頑張るってよウインク


来春、庭に咲くバラの花を一緒に見よう🌹





⬇老老在宅介護の限界

⬇認知症1年半経ったら

⬇父の生活診断をする僕

⬇父の生き甲斐が生まれた






龍8/19、アメトピ掲載されました。
下矢印選んで頂きありがとうございました。
下矢印掲載されると凄いこと起こりますね笑い泣き


本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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