忘れられないことがある。

 

 

死の数日前から父は “肝性脳症” で訳がわからなくなっていた。

いわゆる “ボケて” しまっていた。

 

ベッドに横たわる父に、いとこの姉ちゃんが「叔父さん、私のことわかる?」

と父に聞くと

「いや………わからん……」と困った顔で答えていた。

 

父はもういろんなことがわからない状況になっていた。

ベッドに横たわり、口を開けて、どこか遠くの一点を見つめているだけだった。

とても切なく辛い状況だった。

 

 

続けて僕は

「じゃ、僕のことはわかる?」と父に聞いてみた。

 

当然わかるハズはないと思った。

 

言葉は何も発することはなかったが、

ベッドから父はゆっくり起き上がり “じーっ” と、僕の顔を見つめた。

 

そしてその後………

「にこー」っと僕に向かって微笑んだ。

 

とてもとても柔らかい表情で微笑んでくれた。

 

父の目には、幼き日の僕の姿が映ったのだろうか。

そんな感じのとても優しくて柔らかい表情だった。

僕はなぜかそれがとても切なかった。

 

僕が4歳か5歳の頃、両親の離婚により市営住宅に父と二人で暮らしていた時期があった。

父は仕事前、軽トラで保育園まで僕を送ってくれていた。

雨の降る日は長靴を履くのが楽しみだった。父と手を繋ぎ長靴で水たまりに入るのが好きだった。

 

やさしく微笑む父の表情に、僕はなぜかそんなことを思い出していた。

 

でも、その時の僕は優しく微笑む父にどう反応して良いかわからなかった。

僕は両手で痩せ細った父の手を握った。

それしかできなかった。

その時はそれが精一杯だった。

 

そして父は……また遠くを見つめた。

 

 

 

数時間後、医師と相談し、鎮静剤で眠ってもらうことに決めた。

結局、あれが僕の見た父の最後の笑顔になった。

 

 

父は、子どもの頃からずっと僕には優しかった。

最後の最後まで優しかった。

 

 

わがままで、理不尽で、ガサツで、困ったところもたくさんあったはずなんだけど、父の死後、僕の中に残っているのは「優しかった父の姿」だけだった。

 

 

優しかった父に、そのことを、その感謝を、もっと伝えておけばよかった。

あの時、あの笑顔にちゃんと微笑み返せばよかった。

 

 

あーだめだ、今夜もさいなまれる。