枕経が終わると夜になっていた。
枕経は地元の僧侶と僕と母、それと数人の身内で執り行った。
みなさん遅くまで残ってくれていた。
僕は仕事を残したまま帰ってきたことが気がかりだった。
「みなさんがいてくれる間に」と思い、枕経の後、僕はひとり職場に戻った。
職場では忌引き届の提出と仕事の引き継ぎの手配をして、深夜になって家に戻った。
身内の方がまだ残ってくれていた。
僕が戻ってきたところで、みなさんとは一旦解散になった。
僕は母のことがとても心配だったが、母は辛いながらも大丈夫そうな印象だった。
「私はちゃんと眠れるから大丈夫よ」と母は言った。
その夜、僕は父の横で寝ることにした。
僕は父の横に布団を敷いた。
「あなたもちゃんと寝なさいよ」と言い残し母は部屋に入った。
母が部屋に入った後、僕は父の横で酒を飲むことにした。
それが不謹慎なことなのかどうか調べもしなかったが、僕は父の亡骸の横でハイボールをあけた。
本当は父が好きだったキリンラガーの瓶ビールの方がよかったかな、なんて思った。
なんだかよく聞く話だけど「しばらくはバタバタして悲しむ間もない」って本当かもしれない。
父の死後、あっという間に深夜になったな。
涙も流す間もなく、大きな失望感もないまま時間は深夜1時を超えていた。
深夜、父と二人きりのこの部屋はとても静かだった。
翌日は午前中から早々に葬儀会社の方との打ち合わせがある。
明日も忙しいだろうな。
早く寝た方がいいことはわかっていた。
ハイボールを飲みながら父の横でこのブログを最初から読み返した。
「そういえばそんなこともあったな」と自分のブログを読み返しながら僕はひとり父を偲んだ。
昨年の12月25日月曜日、最後の余命宣告を受けてから約半年。
今思えばあっという間の半年間だったな。
僕は横で眠る亡き父の顔を見た。
まるで本当に眠っているようで昨日までと何も変わらない印象だ。
「お父さん苦しかったよな」とか「お父さん寂しかったよな」とか「お父さんあの時は楽しかったな」とか「お父さんありがとう」も「お父さんごめんな」もいろんな気持ちが溢れ出てしまって、僕は涙を我慢できなくなった。
僕は父の死後、初めて涙を流した。
そうなるともうダメだった。
一旦緩んだ涙腺は簡単に締めることはできなくて、まるで子どもが泣くように声を上げて僕は明け方になるまでずっとひとりでむせび泣いていた。