今朝は時折強い風が吹き、雪がちらついていた。

 

犬の春ちゃん(♂10歳)が少し興奮気味に空を見上げ「ウォン!」と鳴き小走りをしていた。

 

春ちゃんは幼い頃のしつけやトレーニング、ドッグスポーツを行ったことで、興奮の回路を作ってしまい、ちょっとした刺激で興奮しやすい。

 

しかし、今では興奮しない快適さを知り、春ちゃん自ら興奮しない選択をしたり、興奮を静めたりする行動が多くみられる。

 

春ちゃん自身、とてもがんばっているし、興奮しないことでずいぶん楽になっていると思う。

 

興奮が激しい頃は、散歩中のひっぱりはすごかったし、執着しやしかった。それに加え不安がとても大きくあり、じっとしていられなかった。

 

いわゆる問題行動をしていた。

 

犬を尊重する犬育てを提唱している川上さんの記事に、このようなことが書かれていた。

 

問題行動を「直す」ために、しつけやトレーニングを行うと犬にストレスや不安を与えたり、人間をいら立たせて関係を悪化させたりしがちになるという。

 

★記事↓ ↓ ↓

 

まさにその通りで、わたしが犬たちの行動を「直そう」としてしつけやトレーニングを行っていた頃は、お互いがストレスを溜めることになり、精神が不安定になり悪循環の日々だった。

 

川上さんの記事にも書かれているが、わたしたちは人間にとって都合がわるい犬の行動を「問題行動」と言い、「直す」べきものと考えている。

 

犬に対する「こうあるべきだ」という自分の理想像があり、このような考えになる(わたし自身そうだった)。

 

わたしは犬に「誰にでも友好的であってほしい」など、自分の理想を犬たちに押しつけ、それ以外は認めないというわたしがいた。なんと傲慢だったか。

 

わたしは犬を独自の個性ある個々の存在だとみていなかったのだ。

 

わたしが独自の個性ある個々の存在であるよう、犬たちもそうだ。

 

わたしがおとなの認めた行動しかできなかったときはどうだったのかを思い出すと、最初はおとなの言いなりになることに全力で抗議していた。

 

子どもに抗議されたおとなはいらついたり、怒ったりした。

 

そうして関係は悪化していく。

 

そして、わたしはどんどん精神が不安定になり気力が失われていった。

 

これは、犬たちも同じだ。

 

「問題行動」のレッテルを貼ることは、よくない行動をする「犬がわるい」という認識になる。

 

なので、自分の思考や行動などを見直す機会を失うという落とし穴がある。

 

犬をわたしたちと同じ個々の存在であることを理解して、犬が困っていたら手助けをし、個々犬の個性を発揮できる環境を整えたい。

 

そうすることでお互い快適に暮らせ、日々、さまざまなよろこびを感じることができると思う。

 

犬に対してのレッテルを剥がし、目の前の犬を受け入れ尊重することで、よい循環が生まれ信頼関係を築くことができる。

 

 

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