午前中に、実家の両親が我が家にやってきました。
両親のことを何度も見ているイヌと保護シカたちは、落ち着いた様子で、両親の話し声に耳を傾けていました。
母は餅などを持ってきてくれました。わたしが幼い頃は、父方の親族が本家に集まり、うすときねで餅をついていましたが、時代が移り変わり、今では父が自宅で餅つき機を使って餅を作っています。それも、おそらく父の代で終わるのだろうと思いま
す。
こうした光景を前にすると、人の暮らしや価値観が、時代とともに変化していくことをあらためて実感します。
ところで、野生動物たちへの「餌付け」は、ヒグマの事例などでも問題になってきたように、結果として野生動物自身を苦しめることになりかねない行為です。
知床で40年以上にわたり野生動物の調査・研究を続けてこられた中川元さんによると、観光地でヒグマが人の食べ物に誘引されている様子を初めて目撃したのは、1978年のことだったそうです。
また、意図的でない場合であっても、人の食べ物や野生動物が食べそうなものが適切に管理されていなければ、野生動物たちを道路や市街地周辺へ引き寄せてしまいます。そのため、ゴミや食べ残しなどの管理は非常に重要だと感じています。
ここから少し、言葉の整理をしてみたいと思います。
野生動物への関わりを語る際、「餌付け」と似た言葉として「給餌」という言葉が使われることがあります。
一般的には、野生動物に食べ物を与えた際に、「その結果生じる動物の行動変化を意図していたかどうか」が、餌付けと給餌を区別する判断基準とされているようです。
しかし、小島望さんは次のように述べられています。
「餌を与えたという事実こそが、結果的に対象動物の行動や生態系を変え、巡り巡って人間社会に悪影響を及ぼしているのであって、餌を与えた人間の考えの有無が問題を深刻化させていたわけではない。したがって、餌付けと給餌は区別されるべきではない。あえて使い分けるのであれば、給餌は餌付けの一部であると考えるのが妥当である。」
野生動物への餌付けは、動物たちの行動を変化させ、予期せぬ事態を引き起こすことがあります。
ひとことで「餌付け」と言っても、その性質は多様であり、問題もまた多岐にわたると感じています。
餌付け問題の中で、わたしが特に関心を持っているのは、餌付けによって、親が子どもに自然環境で食べ物を探す方法を教えなくなる場合があるという点です。
もちろん、すべての野生動物に同じことが起こるわけではないと思います。
しかし、子どもは母親や仲間のおとなの行動を見て学習します。
もしおとなが人から与えられる食べ物に依存し、自然の中で食べ物を探す行動をあまり取らなくなれば、子どもは自然界で自力で生きるすべを学ぶ機会を失ってしまいます。
このことからも、野生動物への餌付けは、その世代だけの問題ではなく、次の世代、さらにその先へと影響が続く可能性があります。
結果として、将来、個々の野生動物たちが食べ物に困る状況を生み出してしまうことにもなりかねません。
わたしは、野生動物への餌付けは、長い目で見れば、個々の野生動物たちを苦しめてしまう行為だと考えています。
「持続的に餌を与えれば問題は起きない」と言われることもありますが、餌付けによる影響は一様ではなく、また、個々の動物の生涯や健康を考慮すると、それは現実的に持続可能な方法とは言えないように思います。
食べ物に困っている動物を目の前にしたとき、一時的に食べ物を与えるという選択肢が浮かぶことは、自然なことかもしれません。それは、恒常的な関わりとは別に、緊急的な対応として、という意味でです。
長期的に見れば、野生動物たち生活しやすい、人からの意図的な餌やりに依存しないで生きていける自然環境を守り、整えていくことが重要なのではないのかなと思います。
野生動物たちの生活は、非常に過酷です。
それでも、それがからの現在の生き方であり、わたしはその生き方を尊重したいと思っています。
野生動物たちへの餌付けについて、今一度、考えていただけたらと思いました。
人間の行為によって、野生動物たちが悪者にされ、殺されてしまったり、住処を奪われ
たりしないように、わたしたちの行動には責任を持っていけるといいなと思っています。
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