皆さんこんばんわ!

なんと1ヶ月ぶりの更新となりました。 にも関わらず小まめにペタをしてくれた読者の方には感謝をしなくてはいけませんね。

最近、公私共に忙しくバタバタしておりいつぞや書き貯めたブログの原稿も些かタイムリーでは無くなりつつあります。

まずは、オウムの菊地、高橋両容疑者の逮捕。私も過去に隠れオウム信者と公安警察のせめぎあいに接する機会があり社会から見たオウム感との差異をブログ記事にでもと思っていました。

もう一つは松田聖子の再婚記事。まぁ三度目の再々婚となった訳ですが個人的な興味もあったので究極の恋愛体質とは何ぞやと言う面白いケーススタディになると思ったのですがちょっと旬な話題では無くなりましたね(汗)

まあ、見てみたいと言う読者の方がいましたらメッセージ頂ければと思います。

これからタイムリーと言えば小沢一郎の新党結成でしょうかね。秋の解散総選挙かとも憶測を呼び、小沢の生涯最後の新党結成とも言われ巷では新党名をOZW48にしろなんて言われていますが政権与党に空洞化をもたらした政変ですから個人的にも興味があるところです。

近々のブログ更新をお楽しみにー!


皆さんこんばんわ
少し間が空いてのブログとなります。

今日は梅雨入りの発表もありましたが、関東では真夏並の暑さとなりましたね。 一昨日はブログでもお馴染みのAKB48選抜総選挙があり以前、予言した通り大島優子が幸運期の波に乗り女王に返り咲き首位奪還となりました。今日は大島と私の地元でもある栃木で凱旋ライブだそうでさぞや悦びも一潮でしょう。

さて、今日はいつもと話題を変えて少し真面目に今の日本を見つめ私なりに思う雑感的なブログになります。先日、日経平均がバブル崩壊時の株価を下回るなどガタガタの状態が露見し政局だけでなく何かおかしい日本の今。昔と今が違うのは当たり前の話しです。私はエセ評論家の様に陳腐な論調を述べたくはありません。
現代の心の闇などないのです。今も昔も人生はままなりません。それで焼けを起こして人や社会に迷惑を掛ける人間はいつの時代にも居るものです。

少年犯罪しかり、
モンスターペアレントしかり戦前から子供の家族殺しやら、教師との裁判沙汰は新聞に散見出来ますし民族性や民度など早々に変わるものじゃないんですね。
じゃあ、今と昔と何が生きにくくさせているかと言えば政治の無機能化と大衆感の崩壊、底辺に生きる人達が昔よりズル出来ない締め付け感が圧迫しているものだと考えています。

やはり田中角栄を知っている人は強い政治家が伸び伸び政治手腕を奮った時代にノスタルジーを感じる訳で一億総中流だった頃は小さい見栄を張った所で内心、どんぐりの背比べだと安堵を共有出来た訳です。中小企業の社長さん達も経費で生命保険が払えた時代でしたし社会が黙認した微笑ましいズルが人生の鬱憤を柔らかく誤魔化してくれた訳です。

それがバブルの崩壊から社会にもご近所さんにも会社にもギスギスした風が流れ政治など絵空事に思え未来への見通しが付かなくなった。年功序列、大卒神話が崩れ努力が不毛に終わったと突き付けられ訳の分からない横文字とパソコンを使いこなす若者達が我が物顔でアブク銭を掴んだかと思えば人生のストーリーを平均的こそ最善だと過信する真逆の価値観を肯定する若者達の出現。官公庁にお勤めの公務員も肩身をすぼめ定年をじっと待つ。。

やはり体の良い代替の効くズルや大衆感が無くなったのは日本人にとって死活問題だろうと思います。失敗や挫折に優しくない社会は戦場のゼロサムゲームの様相を呈している訳ですからね。
人生は弱者を強者が喰っていけば良いだけの物じゃないはずです。合理的と排他的は反りが合わないぐらいでバランスが取れています。
弱い人間をつま弾きし囲い込むんでは息がつまりますからね。不公平感と言うやつで、せめて表面的にでも公平感を演出するのは政治にしか出来ない美徳なんだと思うんです。

例えば
相続税をとっとと止めて簿価で税金取れば合理的社会の出来上がりです。金持ちも貧乏人も困りませんからね。税金が嫌なら財産上身軽になれば良いだけの話しです。日本の民間所有の簿価は2500兆。1%の税金でも毎年25兆は取れます。嗜好品にたっぷり課税し法人税はよりサービスしてあげることです。戦前、戦中なら兎も角、飢餓や絶対的貧困を克服した日本に取ってコテコテの新自由主義的な資本経済が機能不全を起こしているように見えるのは私だけなのでしょうか。

金持ちのご機嫌を損ねず貧乏人を馬鹿にしない政治のやり方は他にも在るわけで敵味方を作って配役を決め眼を向けさせるような小手先の政治はもう寿命ですから上手く間を取り持つ納得感が今の日本人の精神安定剤である大衆感に繋がると思う訳です。
最近、吉本芸人の母親が生活保護を不正に受給し扶養義務を怠ったのではないかと随分とバッシングがありましたが、この時代に普通に働ける人間が詐病で役所に押し掛け生活保護を掠めると言う行為その物が社会病理だと思うのです。今や搾取されるだけされボロ切れの様にさ迷う人達に取っての精一杯のズルなのでしょう。大衆の捌け口である公平感や暗黙のズルを全て遮断した結果、底辺に生きる人達は政府に牙を向きイナゴの如く間接的にこの日本を食い荒らそうとしています。政府もズルの矛先が生活保護に向けられていることを認め監査機関を設けるなり不正を正す姿勢を見せねばならないでしょう。人間は公平世界感を持つ人の方が平均寿命が長いと言うデータがあります。今の世相で中々、感じにくいことですが、運命学から見ても人間の幸、不幸は量の違いこそあれど質の面では平等であることを忘れてはいけません。しかし今の日本では納得出来る公平感が内包された社会の実現こそが幸福の種なのかも知れません。