芒種の全投句に対する鑑賞を糖尿猫さんから戴きました。

 

ちなみに、私が全投句を公表しているのは、多作を誇っているのではありません。

どこに詩があるのかとか、どれが佳句なのかを判断する力が乏しい事、時間をかけていても不十分な推敲にとどまってしまうことなどの恥をさらしているだけです。

私は様々な事情で結社などにも属さず独学で学んで、まだ一年半程度です。

俳句の本も買えず、湘子先生の20週の本も都合が悪くまだ手に入れておりません。

自分のやり方が正しいとは全く思っておりません。

このやり方が正しいとは思ってはいないのですが、今の自分にはこの方法しかないのです。

 

そんな中、ここまで細かく教えて下さる糖尿猫さんには感謝でいっぱいです。

ありがとうございます。

---------------------------以下メッセージ----------------------------------

こんばんは。いつも多彩な秀句と、多彩なアイデアをお示しくださいまして、ありがとうございます。いつも、勉強になります。わたしも、ブレインストーミングをしながら、なんとか多彩な句を生み出したいと思います。
今回も、僭越ですが、以下の句をいただきました。


妊娠を若妻打ち明ける芒種
目の付け所、発想がいつもながら素晴らしいですねえ。
下五へのリズムが、ちょっと乱れた感がありますでしょうか。
逆に、その場の戸惑い感や雰囲気が出るようにも思います。


保護犬の舌や芒種の譲渡会
保護犬という、題材も良いですねぇ。
語順的に、「芒種」を譲渡する会に読めてしまいそうです。
犬の譲渡会になると、良いですね。保護猫もよろしくお願いいたします。


田植え機を載せ軽トラは芒種へと
「田植え機」との季重なり(たぶん)ですが、芒種にぴったりです。季語に強弱がついており、季重なりは気になりませんでした。


芒種の夜古き楽器を取り出しぬ
楽器の具体像がわかると、より情景が浮かぶかと思います。
古い楽器・・・っていうと、例えばリュートとか。あ、別にビオラとかでも。
いや、日本人らしく笙とか琵琶とか?


一枚の絵から始まる芒種かな
ミレーの種まく人を思い浮かべました。
絵は実際の種まき行為で、芒種は時候の季語だから、違うと言えば違います。その違いを、「から始まる」で表されました。カッコイイなあ。


老農婦祈る芒種の地蔵尊
老女にとって、お地蔵様がもっとも身近な仏様であったのでしょう。
わたしには、地蔵さん->こどもの守り仏、って先入観があります。お孫さんのことを祈っているのでしょうか。


朱の農機ぼうんと煙吐く芒種
トラクタとか耕運機的なマシンは、赤いですね。なんでだろう。田んぼで目立つように、かなあ?
芒種の候となり、マシンに久しぶりに火を入れたのでしょうか。そしたら、「ぼうんと」吐いた煙。マシンも久しぶりなんで、ちょっと調子がでなかったのでしょう。特に「ぼうんと」が好きです。


鐘の音や芒種の村の赤鳥居
聴覚情報から、始まりました。村の放送の音(午後五時のお知らせとか)でもいいなあ、と思いました。そして視覚の鳥居の赤が、印象的です。


千木の間へ落暉隠れてゆく芒種
良いですね。屋根に置く千木。地方によって形がちがったりするそうですね。
千木という古い言葉に、落暉という美しい日本語が重なって、幽玄たる世界が広がっています。今回の没句のなかでは、個人的一押しになります。[人]に混ざっていても、違和感はないと思うんですけどねぇ~。


腹帯や芒種の手水汲む柄杓
おめでたですか。犬の日に巻くのですよね。
柄杓まで描写されているので、細かく情景が見えて良かったです。
手水の「手」と柄杓の「柄」が重なっているような気がしました。例えば、芒種の手水→芒種の水を、などは推敲の候補になりうるでしょうか? 
あ、でも手水の方が神社へのお詣りが、はっきりわかりますね・・・。やっぱりあ~すけさんの、元の句の方が良いなあ・・・。


朝日射す機窓やパリへ発つ芒種
かっこいいっす。パリへ着くと、「翼よあれがパリの灯だ」な感じですが、発つならば希望に満ち溢れた様子ですね。
そもそも、欧州に芒種っていう概念があるかは、知りませんが、パリへ「発つ」にマッチしていると思います。


田に立ちて一口水を飲む芒種
田の傍で水を飲む。とても芒種らしいのですが。とぉっても、芒種にマッチしてるんですが・・・。詰込み感なのでしょうか? 
田の傍に芒種の水を飲みにけり・・・? くらいなあっさり感が良いのかもしれません。うーん、この語順だと組長の「ごんごん~」句に似ちゃいますね・・・。


見上げれば芒種と鬱を区切る雲
芒種と鬱、という組み合わせ、カッコイイです。
見上げれば、に若干の違和感がありました。


老農夫開ける芒種の握り飯
これもまた、芒種という時候を農夫の所作を通して、表現されておりますね。いいなあ。


邪馬台の芒種の神事始まりぬ
このような神事、大和時代や弥生時代に、おそらくあったと想像します。
それを「芒種の神事」と呼んでいたかどうかは、しりませんが。この句も、[人]以上に混ざっていても、違和感ないと思います。


奥入瀬の芒種の渦を彫る志功
棟方志功は、青森の宝ですよね。版画を掘るときに、ド近眼の顔を対象にすりつけるようにして、牡丹や縄文女性やいろいろな命を、生みだしてきました。
ここで、志功が彫るのは、芒種の奥入瀬川の「渦」であります。どんな文様が、版画を支配しているのでしょうか。


風渡る竜飛岬に立つ芒種
むかし、津軽海峡線の竜飛海底駅に下車して、地上にでたことがあります。
風が渡っていました。遠く、北海道が望めました。「おお、違う島なんだ。」そう感じさせる、距離感でした。
竜飛岬は、本州の北端ですが日本の北端ではありません。しかし、心情的な北端としてわたしたちの心に根付いているさまを、御句から受けました。


静岡の芒種うるおす富士の水
静岡ですね。わたし、去年まで、毎週沼津とか富士市のあたりへ行ってました。
静岡の東の方は、富士の水でうるおされています。伏流水が多くあるんです。
伏流水が、突然川になったりするのは、富士の南の各地で見られます。柿田川が有名です(拙ブログで芒種の項で出した写真は、ほぼ全部が柿田川のものでした)。
御句では、「静岡」と「富士」がもったいないかな、と思いました。富士っていえば、静岡です(山梨の人、ごめんなさい)ので、静岡は別の情報で置き換えられるかも? です。

  演習地の芒種うるおす富士の水
  海溝へ芒種の水を落とす富士

などなど、どがんでありましょうか? 


弥生人遺す芒種の田舎館
田舎館田んぼアートを撮る芒種

田舎館。地名ですが、郷愁を誘う文字列です。
田んぼは弥生人のキーワード。農業の人々です。
田んぼアートを、実際見たことはありませんです。種類の違う稲を植えて、田んぼに絵を描く。それも、展望台から見たらバッチリ絵になるように、計算して苗を植えるんですよね。すごいなあ。
芒種という季語に、「弥生人」「田んぼアート」の言葉が、沁みてきます。
以下、ちょっと御句からは外れます。
青森には、三内丸山という縄文遺跡があるそうですね。縄文人ですが、定住文化があり、栽培作物もあったとか。知らなかったです(Wikipediaで調べました)。よろしければ縄文人の句も、お願いいたします。


ハイポには、ひとりの入選句数に限りがあるらしいですね。噂によると、三句くらいだとか。あ~すけさんの句を、この句数制限を踏まえて選ぶのは、とても葛藤するだろうなあ・・・。「この句もいいわあ」「これもいいわあ」って選んでいたら、あっという間に越えてしまいそうです。
組長先生は、一瞬でそれらを見分ける、という噂ですね。さすがですね~。すごいなあ。

長文で、好き勝手言い散らかして、すみませんでした。わたしには、優劣はよくわかりません。好きかどうか、です。好きな句が、わたしにとって良い句であります。
また、良い句を読ませてください。ありがとうございました。