青森市は、ネブタが始まります。

街全体が、なんか華やいでいるように感じます。
 
用事があって、細切れでしか眠れない日が続きました。

横になって、やっと寝入ったなと思うと目覚ましが鳴るといった生活で、PCに向かう時間が取れませんでした。

でも風邪も引かずに通常の生活に戻れたことを感謝致します。
 
「通り雨」の季節感について、いろいろ知ることができました。

きっかけを与えて下さった悠さまに感謝致します。

悠さま、ありがとうございました。

 

まずは、季語歳の方のご回答です。
 
季語歳への問い合わせ内容は下記の通りです。
 
きごさいへのお問合せ:
いつも季語検索などで活用させて戴きありがとうございます。
私は俳句を初めて9か月程度の超初心者です。
(中略)
現在、私は「通り雨」という語が季語なのか、季語ならばいつの季節なのか、季語ではないが、季節感がある言葉なのか調べております。
私が別な季語にて句作し、取り合わせに「通り雨」という語を用いたところ、通り雨も季語であり、季重なり・季ずれであると指摘されました。
根拠は貴サイト中の下記の検索結果だそうです。
http://kigosai.sub.jp/ktai/ken_k1/msearch.cgi
上記に「通り雨」と入れて検索すると「時雨」とだけ出ることが、通り雨が時雨の傍題である証拠と聞きました。
この検索結果を踏まえ、「通り雨」の語の季節感について、ご指導戴けたら有り難く存じます。

 

回答は下記の通りです。

 

角川書店の「図説 俳句大歳時記」には「通り雨」は季語として扱っておりません。
私どもの「きごさい歳時記」も同様です。
どちらかといえば、四季を通じて現れる現象などで季節感はないと思われます。
ただし、季節感については個人差がありますので、決めつけるわけにもいきません。

名句と言われる作品の数々には季重なりの句が多々あります。
その場合、季語の強弱が歴然としているものが多いはずです。
一句の中でどちらの季語が強いのか、それが重要です。
佐東さんの季重なりを指摘された俳句の内容はわかりませんが、普通に季語が入っている俳句なら、
「通り雨」の季節感がそれほど句に影響を与えているとは思えません。

以上、私見です。参考になればよいのですが。

きごさい事務局

 

というご回答を戴きました。

 

また、yahoo知恵袋へ、「通り雨」を冬の季節感で捉えている俳人または、結社について聞いたところ、次のサイトを教えて下さった方がいました。

 

https://www.yamamoto-noriten.co.jp/haikuan/201411/index.html

 

【安立公彦先生コメント】
 今月の季語「初時雨」について。「時雨」は文字通り「時の雨」即ち「通り雨」の意です。連峰に囲まれた、例えば京都のような地形に、初冬の頃よく見られる気象です。(後略)

 

そこで、春燈俳句会へお問い合わせ致しました。

 

初めてお問合せ致します。
突然の問い合わせ、大変不躾で申し訳ございません。
俳句を始めて九か月程度の初心者です。
「通り雨」という語の季節感について、ご教示戴きたくご質問させて戴きます。

(上記リンク先)に

「時雨」は文字通り「時の雨」即ち「通り雨」の意です。

とお書きになられていますが、「時雨」は別として、「通り雨」という語に季節感があるのかどうか調べております。
夏の夕立の季節感と言う方、冬の時雨の季節感と言う方、季節感が無いという方それぞれいらっしゃるようです。

貴サイトご運営の方々は、この点をどのようにお考えか、ご教示戴ければ有り難く存じます。
お忙しいところ大変申し訳ございません。
時節柄、どうぞご自愛を

 

ご回答は以下の通りでした。

 

結論から言いますと、「通り雨」には季節感はないと考えております。
 
ご提示のあった「時雨」にしても、「春時雨」には明るさや華やぎ、「秋時雨」には侘びしさが籠められており、単なる季節の違いだけではないように思います。
 
芽吹きの季節の通り雨か、空蝉を濡らす通り雨か・・・季語との取り合わせで、奥行きのある一句に仕立てていただけたら幸いです。
 
以上が春燈俳句会からのご回答です。
 
気象庁からもご回答を戴きました。
 
【いただいたご質問】
時雨について、さらに確認したく思います。
 
しぐれ
説明:大陸からの寒気が日本海や東シナ海の海面で暖められて発生した対流雲が次々に通るために晴れや曇りが繰り返し、断続的に雨や雪の降る状態。「通り雨」として用いられる場合もある。
用例:北陸地方ではしぐれる。
備考:主に晩秋から初冬にかけて、北陸から山陰地方や九州の西岸などで使われる。関東地方では後者の意味で用いられる。
 
とネット上にもありますが、ここで言う「関東地方では後者の意味で用いられる。」とあるのは、「『通り雨』として用いられる場合もある。」を指していると思います。
 
つまり、「通り雨」を、「時雨」と表現する場合もあると理解してよろしいでしょうか?
 
そうであれば、通り雨の別名としての時雨に季節的な使用制限はありますか?または、季節に無関係に使用していますか?
時雨は、俳句の世界では冬の季語ですが、これは主に晩秋から初冬にかけて、北陸から山陰地方や九州の西岸などで使われることと関係があると思いますが、通り雨の別名としての時雨にも、同様の季節的な偏りなどがあるのかどうか教えていただきたく再質問致しました。
 
【回答】
地域により、通り雨を「しぐれ」と表現する場合もあり、季節的な使用制限などはありません。
 
「しぐれ」について、
例えば、 
 「気象科学事典(日本気象学会編)」では、「季節を限定せずに断続的に降るにわか雨を指すこともある。」
 「身近な気象の事典(日本気象予報士会編)」では、「地方によっては季節を問わず降るにわか雨をしぐれとよぶところもある。」
としています。
また、
 「日本方言大辞典(小学館)」によれば、夕立の意味で、「シグレ」と言う所が、関東地方などにあるようです。
 
詳しくは、気象学の事典などの書籍や、方言に関する書籍などをご確認ください。
 
なお、予報用語は、気象庁が発表する天気予報や各種情報、その解説などに用いる語について定めています。
俳句の季語など文筆に関わるきまりや活動等を意識したものではありませんので、ご了承ください。
 
というご回答でした。
 
結果、「通り雨」という語には季節感がないという考えが主流のようです。
さらには、「時雨」という冬の季語さえ、俳句の世界を離れれば、季節感がない可能性もあるようです。
短歌や川柳やその他の詩、または文学、歌詞などでは、もしかしたら、「時雨」という冬の季語さえ、違う季節の言葉として使用しているかも知れません。
 
いろいろ調べてご回答下さった皆さま、ありがとうございました。
また、調べるきっかけを与えて下さった悠さまへ、改めて感謝したいと思います。