俳句は17音が全てを語っていて、解説は無粋だというのが、信条の私ですが、ちょぴりだけ解説を。

ある方のブログで、引っ越して二年経ったという記事がありました。

いろいろ辛いことがあって、急に二人だけで住むことになり、今は幸せを感じているようです。

その方へ、ちょっぴりだけ、おめでとうを伝えたくて、記事タイトルの句にしました。

夜の秋は夏の季語ですが、夜は涼しさが増し、夏が終わってゆく寂しさを感じます。

でも、同時に暑くて辛い夏が、徐々に気持ちのよい秋へと向かう期待感もあるように思うのです。

 

その方たちは、とっても良い方で、ブログ記事が公開されたと気付くと、既に温かいコメントがいくつもついています。

二人の生活は、本当はいろいろ大変なことがあるように感じるのですが、その方のブログには、家族への感謝が書かれています。

家族へのとっても温かい視線で書かれた文章、ウィットに富んだ文章、この方たちには必ず幸せになって戴きたい、いや、幸せに必ずなる。

それも間違いで、もう幸せなのだ、そう思います。


幸せって、なんだろう?

世の中、自分にとって、都合のいいことと都合の悪いことが混ざっています。

都合がいいことだけって、なかなかないし、うれしいことも次の瞬間は当たり前のこととか、過去のことになってしまいます。

初めてのNHKテキスト佳作のという事実も、まだテキストを実際には目にしてさえいないのに、感動や嬉しさは徐々に徐々に薄れつつあります。

幸せを感じる心が大切なんだなぁと思います。

その心をどうやって育てるのかが、幸せになる鍵かもしれません。

組長は、俳句にはその力があると説きます。

(組長って、夏井いつき先生の愛称です。)

俳句は単なる文芸の技術ではありません。

人生を見つめるツールです。


幸せになる源泉は、もう一つあると思います。

感謝です。

他の人への感謝も大切ですが、他の方から感謝を受けることが幸せの素を増やす気がします。

俳句が単なる文芸の技術だと思っている人は、簡単に人を傷付ける言葉を吐きます。

どんなに相手が傷付くかわからないまま。

私も家族に対して、焦ったり不満があると、つい家族を傷付けています。

申し訳ないと思います。

愛が無ければ俳句ではないと組長は言います。

愛のある俳句を詠めば、必ず幸せになります


今日の記事に書いた方のブログは、俳句の形式ではないですが、とっても愛に満ちた文章で、内容は俳句を読むのと同じくらい、いやそれ以上にほっこりした気持ちにさせてくれる文章です。

文章で他の人を幸せな気持ちにして、感謝の言葉が集まっています。

その方は、ブログを書くことで、幸せの素がいっぱい集まっていると思います。