ドラマ仕立ての裁判は、打ち切りが決定しました。

受けもよくないし、作者本人は根気がないし。

もうキャストの俳優さん達は、いつものバイトのシフトを入れてしまったので、当分出演できません。

 

さて「通り雨」の語ですが、

1.季節感が無いという説

2.時雨の別名であるという説

3.夕立を連想させるという説

 

上記が主流のように感じました。

春の季節感については、再調査致します。

梅雨と秋は、「通り雨」は似合わないようですが、これもペンディングです。

 

http://www.nhk.or.jp/matsuyama/hirutama/haiku/details_10323.html

 

上記で組長は、「季語になるかというと、これがまた微妙」という発言をしています。季節感が無いと感じていれば、こういう発言ではないと思います。

 

全体をトータルすれば、定説がないという結論しかないのですが、個々人においては、季節感を感じている人はある程度いらっしゃるようです。

ただ、それがバラバラです。

年代や地域によって偏りがあるのかもしれませんが、調査しようとすると大変です。

 

関連しそうな季語の説明を季語歳から転記してみます。

 

【夕立】夏の午後のにわか雨、ときに雷をともない激しく降るが短時間で止み、涼しい風が吹きわたる。

 

【時雨】冬の初め、降ったかと思うと晴れ、また降りだし、短時間で目まぐるしく変わる通り雨。この雨が徐々に自然界の色を消して行く。先人達は、さびれゆくものの中に、美しさと無常の心を養ってきた。

 

【春驟雨】ただ驟雨といえば夕立を伴ったにわか雨で夏の季語。だが春の驟雨となればにわか雨でもおのずと春の駘蕩とした感じがある。春の野が柔らかく匂い立ってくる。

 

気象庁の説明は

 

【にわか雨】降水が地域的に散発する一過性の雨。(備考) 「にわか雨」のなかには「一時的に降る雨」という意味が含まれているので、冬期の日本海側において、対流雲が次々と通り、晴れとしゅう雨(雪)が繰り返すような現象に対しては「にわか雨(雪)」は用いない。

 

【しぐれ】大陸からの寒気が日本海や東シナ海の海面で暖められて発生した対流雲が次々に通るために晴れや曇りが繰り返し、断続的に雨や雪の降る状態。「通り雨」として用いられる場合もある。 (用例)北陸地方ではしぐれる。(備考)主に晩秋から初冬にかけて、北陸から山陰地方や九州の西岸などで使われる。関東地方では後者の意味で用いられる。

 

no_881さんからの情報で

https://www.yamamoto-noriten.co.jp/haikuan/201411/index.html

に下記の文があることを知りました。no_881さん、ありがとうございます。

 

「時雨」は文字通り「時の雨」即ち「通り雨」の意です。連峰に囲まれた、例えば京都のような地形に、初冬の頃よく見られる気象です。

 

安立公彦先生という春燈という俳誌の主宰の方の文章です。

 

中間報告としては、「通り雨」という語には季節感が無いと言う方とあると言う方が混在していて、季節感があるという方々の中の季節もいくつかに分かれている。

その季節感は、何から醸成されたものかは不明で、年代や地域による偏りも不明である。

言わば、個性のようなもので、一方的に「通り雨」に対する季節感を他人の句に押し付けたり、選評に対して批判したりすることは避けた方がよい。

作句上は、季語としての使用は避けた方がよいが、取り合わせとしては、一定の吟味の上では使用して差し支えないと考えられる。ただし、「通り雨」という語への定説はないため、批判的な評を受ける可能性はあらかじめ覚悟した方がよい。

 

このようなところでしょうか?

また、折に触れて調査は継続したいと思います。