まちゅさんからいただいた、緑陰と木下闇の違いのリンク、引用しちゃいます。


以下引用


 例えば、 「緑陰に読みて天金をこぼしける」 (山口誓子) という句と、 「少年のわれと行き会ふ木下闇」 (平井照敏) という句を比べてみる。ともに木陰を指す季語 「緑陰」 と 「木下闇」 は、印象をかなり異にするだろう。前者が読書に適う明るさを感じさせるのに対して ( 「天金」 は書物上部の小口の金箔装) 、後者はふと幻影が見えそうな、特有の暗さを思わせる。違いは 「緑」 と 「闇」 の語感の差、また近代語 「緑蔭」 と古語 「木下闇」 の差に由来する。
 歌ことば 「木下闇」 は、万葉語 「木の暗」 を承けて、平安時代に成立し、以降専らその暗さが歌われてきた。源実朝は 「夏恋」 題に 「五月山木下闇の暗ければ己れ惑ひて鳴く時鳥」 ( 『金槐集』 ) と、恋路の闇にも詠む。
 松尾芭蕉が 「須磨寺やふかぬ笛きく木下闇」 という句を得たのは貞享5年の 『笈の小文』 の旅。 「ふかぬ笛」 とは、寺収蔵の敦盛遺愛の青葉の笛である。芭蕉の幻想に、木陰の闇が果たした役割は大きかったはずだ。


以上引用


へぇ、へぇ、へぇ(トリビアの泉っぽく)

ガッテン、ガッテン、ガッテン(こっちはNHK)


あかぼし俳句帖のコミック第1巻、第二巻買った~。

一気に読んだ~。

何かいろいろ主人公に共感できる~。


でも、俳句って、真面目に取り組もうとするとなんか難しそう。

いいんだ、俺は俳人気取りであって、俳人ではないのだ。

ゆる~りゆるゆるでいくのだ。


今日は家族で盛岡に吟行旅行、GWになると混むから、今のうちに日帰りで遠出するのだ。

花百句も折り返しの五十句残ってるしね。