昨晩はプレバトを録画し、番組が終わってしばらく後から、再生していました。

まさか大変なことが起きているとも知らず。


東日本大震災の時は、青森市は地震被害はほとんどありませんでしたが、停電と物流の停止で数日は苦労しました。

寒かったのですが、暖房のほとんどが商用電源を必要とし、使えなかったのです。

ラジオも電池も売り切れ、スーパーは営業自体がままならず、この状態が長引けば大変なことになると感じました。

ガソリンの給油ができず、通勤や社用の車移動にも支障が出ました。


その後、インフラは徐々に回復しましたが、大規模な津波被害と原発の水素爆発が報道され、この世の終わりが来たのだろうかと思ったものです。


今回の地震でも多くの方が犠牲になったようです。

ご冥福をお祈りいたします。


どんなに辛いことがあっても、私たちは生き続けなければなりません。

神様からお借りした体を大切に扱って、慈しみの心を忘れずに。


生きていれば必ず喜びに出会えます。

他人を不幸にしようとか、自分自身の魂を傷付ける行為さえなければ、人生は必ず実りあるものになります。

たとえ天涯孤独になろうと、自分を大切に思ってくれる人に出会えるのです。


他人の命を奪うことはできても、他人の魂を傷付けることはどうやってもできません。

魂は自分自身が傷付ける行為をしない限り、誰からも傷付けられることはないのです。

お金や財産は奪えても、幸せの元である徳を奪ったりだまし取ったりはできません。

どんなに厳しい天変地異に出会っても、魂を傷付けられることはなく、徳が減ることもありません。

だから、私たちは安心して生きて行けます。

天変地異も事故も犯罪被害も罰ではありません。


逆に辛い出来事を機に、魂が大きくレベルアップした人も多いと思います。

9.11で深い愛に気付いた人は多くいるのではないでしょうか。3.11もです。


犠牲になった方々もただ無残な状態になったのではないと思います。

冥福というものは、単なる言葉ではなく、実際にそういうことはあると思うのです。

ですから、大切な人を亡くしても、何年も何年も永遠に悔やみ続けるのではなく、明るく生きて行っていいのです。


でも、辛いことが起きた直後は、しっかりと生きることができなくて当たり前です。

時が解決してくれるまでは。


昨日の次の日が今日ではなく、今日の次の日が明日ではない、いつまでも今のまま過ごせるかというと、そうではなく、いつ何があるかわからないのが人生です。

ガンジーは「明日死ぬと思って生きよ、永遠に生きると思って学べ」と言いました。


今死んでも悔いのないほど一所懸命に生きて、努力は必ず実ると信じて人生を諦めないことが大切ですよね。