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前回の記事に書いたように

私の両親は二人ともアクティブで

家でゆっくりするようなタイプではありません。

 

 

そのため、私は常に外で多くの人と出会い、

自分の知らない新しい世界に

飛び込んでいくライフスタイルでしたアップ

 

 

そんな人生に事件が起きました目

 

私が2歳の時に妹が生まれ、

その2年後にもう一人の妹ができたのです。

 

 

 

妹ができると、母は今まで以上に多忙になり、

疲れも溜まっているように見えました。

 

 

そして、母と私との関係性にも変化が起きました。

 

 

いつも一緒に活動していた母が、

急にこんなことを言うようになったのです。

 

 

「お姉ちゃんなんだから、全部自分でやりなさい」

 

 

 

私も、母の忙しさを見て、

子供ながらに負担にならないように、

身支度から、髪の毛を結ぶことまで

全部自分でやるようになりました。

 

 

今でも覚えているのは、髪の毛が上手に結べなくて

ぐちゃぐちゃになっても、何度も、ほどいて結んで

朝、ポニーテールをするのに30分も掛かり

教科書や給食袋の準備、忘れ物がないか確認するまで

1時間以上も掛かっていました。

 

母はそれでも、「自分でやりなさい」と毎日言い続けました。

 

私は、「お母さん助けて」

「もう、できないと」と思いながらも、

甘えることなく、ひたすら努力し続けました。

 

その結果、髪の毛を結ぶのも上手になり、

誰の助けもなく、準備も完璧にできて忘れ物もなく

先生からの信頼も得ることができました。

 

 

そして、自分でやらなきゃ精神で

人に頼るのが苦手にはなりましたが

「地道に努力すれば、人は何でもできるようになるんだ」

と言うことを学び

困難なことも忍耐強く取り組む気質が作られていきました。

 

 

母の「自分でやりなさい」は、毎日止むことがなく、

私はこの言葉によって、

本当は大丈夫ではないことも大丈夫と

言ってしまうようになり

本当に泣きたい時でも、

人前では涙を見せないようになりました。

 

 

妹ができたことによって、

母から妹の面倒を見ることを頼まれることも多く

気づけば自分のことは後回して最後になり

相手優先で人に気を使いすぎるようにもなりました。

 

長女って、何だか損な役回りだなうーん

 

そう思いながらも、

自分がしっかり妹の面倒を見ないと、

母が大変になってしまいますし、

妹もお姉ちゃんという存在を慕ってくれて、

私は自分を犠牲にする感覚を持ちながらも

誰かのためになっているという喜びを得ていました。

 

 

人から頼られると断れないという性格も

ここから作られたのだと思います。

 

 

 

毎日、母から妹の面倒を見ることを頼まれ、

家事の手伝いをするように言われて

私は期待に応えようと必死に頑張りました。

 

 

 

その結果、責任感が育ち、

どんな仕事もこなせるようになり

現実力もクラスではトップレベルになりました。

 

 

でも、母や周囲から褒められるようにはなりましたが、

自分の心はちっとも嬉しいとは

思いませんでした。

 

 

「母を大変な思いにさせたくない」

「母に褒められるからやる」というモチベーションで

行動しても満足のいく結果が得られないからです。

 

 

私の存在価値は母の評価によって

決まってしまうものだという違和感も

同時に感じ始めたのもこの頃です。

 

 

そんな自分が嫌になり、

私は、しっくりこない心の隙間を

何かで埋めようとしていきました。

 

 

本当にやりたいことって何なんだろう

どうやったら人は変化できるのだろう

 

 

幼いながらに、そんなことを考えていた小学校2年生の私。

これから、この心の違和感を埋めようとする

私の旅が始まります。

 

 

 

続き:自己紹介 第1章(4) 誰もやらないことをやるDNAの真相