飯室谷に安全祈願に行った | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

そうだ、昨日案内来たから思わずプロを予約したった(笑)。


久しぶりに京都に行きました。



まずは静岡の宴席。盛り付け華やか。でもどこからどこまでが自分のなのかがまっことわかりにくうごさるよ。


というわけで、仕事で静岡に行って、夜は懇親会と翌朝からの会議をこなす。土曜日だったので、その足で京都に行き、もう数年前から一緒に京都に行こうと約束していた同僚は大阪から合流し、2人で肉とおでんの店に行きました。



刺しに焼きにポン酢あえと肉ばかり注文。糸魚川に赴任している同僚はいつも魚を食ってるので肉が食いたいらしい。なんと、おでんには行きつかず、肉だけで満腹になってしまいました。



そして、お通し的に出てきたお吸い物には松茸が!


お通しにはサラダもあったし、トマトも頼んだので、バランス的には問題ないかな。



2軒目は先斗町のホームバー。いったんホテルに帰って、私は忘れて渡せなかった静岡土産を届けた帰りに会員制のワインバーへ行って、同僚は翌朝、愛犬が具合悪くなったという連絡で帰って行きました。


本当は彼の希望で決めた安全祈願ですが、そのまま単独で向かいます。



まずは京阪三条駅へ。ちなみに京阪三条駅は市営地下鉄の駅で、京阪線の駅は三条駅です。


比叡山は三塔十六谷、そして重要なお堂が五つあります。根本中堂(東塔)、釈迦堂(西塔)、横川中堂(横川)、明王堂(無動寺谷)、不動堂(飯室谷)です。


東塔、西塔、横川という山の上のエリアは入場が有料の観光的なエリアになっていますが、中腹にある無動寺谷と飯室谷は共に回峰行の拠点となるお寺であり、住職も千日回峰を成し遂げた北嶺先達大行満大阿闍梨が勤めています。


無動寺の明王堂に行ったことは以前書いた記憶がありますが、坂本のケーブルカーで山頂駅から徒歩15分で行けますので、同僚と向かおうとしたのはこちらでした。


一方で、飯室谷の不動堂は、明智光秀の菩提寺、西教寺から徒歩で上り坂を30分以上かな。普段は公共交通はありませんが、月に1、2回ある護摩などの行事の際には比叡山坂本駅から送迎のバスがでます。


同僚が行けなくなったので試しに調べると、ちょうど護摩の日でしたので、念願の飯室谷へと向かいました。



栃木出身の第三代座主、円仁ゆかりの飯室谷不動に到着。奥に見えるのは千手堂。



飯室不動堂の全容はこちら


まずは御供所で護摩木を購入。1本200円を2本頂き、願を書く。願とは「交通安全」とか「病気平癒」とかというやつで、その下に名前と数えの年齢を記入。生まれた時にすでに1歳、新年を迎えると2歳。だから満年齢より1か2多くなる。


護摩は11時からなのですが、9時のバスで来たのでまだ時間はたっぷりありました。初めて来たことを伝えてどうすれば良いか聞くと、まずは護摩堂で席を確保して、境内をお参りされてはどうでしょうかと、また大阿闍梨に面会されたいのであれば、10時から予約がとれますと丁寧に教えて頂きました。煩悩の塊の話を聞いてもらっても申し訳ないので、これはやめておいた。



御供所の前に千手堂。左側には水掛観音がありました。



御供所の横には一願不動尊。



山方向に登ると、地蔵堂の手水は鉢の中から水が沸いている。



地蔵堂の前には不動明王の石像。



元三大師道は横川へと続いているが、通れるのかな。このところの豪雨で、結構道が痛んでいると聞いている。



さらに奥に進むと比叡山飯室不動堂。その裏手には不動の滝、弁財の滝などありますが、撮影禁止でした。



護摩は護摩堂にて行います。席は50人分用意されていて、当日は40人くらい参加でした。


大阿闍梨とサポートする3人の僧侶、鳴り物としては太鼓があり御真言を唱える間はリズムを刻んでおりました。


護摩は「南無大聖大悲不動明王」から始まり加持までで1時間半ほど続きました。御真言を唱え続けて疲れました。正月などに行われる護摩の3倍くらいですね。しかしながら天台声明(しょうみょう)もあったし良かったです。加持は外でお寺にお勤めの方々もお待ちになられているようで、部屋から出てそちらも加持されているようでした。



購入した安全祈願の不動明王像と、おさがり。おさがりは護摩参加者が全てに配られます。


飯室谷に来たかったもう一つの理由は、



慈忍和尚廟


慈忍和尚は第十九代天台座主。藤原摂関家の出身で、第十八代天台座主で天台宗中興の祖と云われる元三慈恵大師の高弟。兄弟弟子には(源氏物語の横川の僧都のモデルといわれる)恵信僧都など居られる。


たいへん厳しい人で、死してもなお一つ目一本足の妖怪となり、破戒僧を戒めて回ったと伝わり、この慈忍和尚廟は比叡山四大魔所の一つとされている。だから奥まで行ったけれど写真の撮影はやめておいた。



下山はバスには乗らず徒歩で降った。途中、登りもあったけど笑。ここは本来の徒歩の道なのだが、踏み跡も不鮮明で迷わず辿り着けるか不安だなあ。



坂本は恵信僧都が地獄に落ちても地蔵菩薩を信仰していれば救われるのだと説いた横川の膝下なので、このような石仏が多く、その数は人口よりも多いと言われている。まあ、こういう風景を見たかったので歩いたのだけど、途中から雨に降られてたいへんだった。



山を降りて名物のそばを食べたが、



疲れてメニューしか撮ってなかった(爆)。


ね。