認知症になって旦那さんや子供達の事や大切な思い出を忘れてしまったら、私の人生は全く価値の無い物だと思っている。


安楽死を選びたい…私はそう思うかもしれない。




「いやぁ〜ムキーッ!!」

「早く家に連れて帰れえムキーッムキーッムキーッ!」


79才の母が看護師さんや介護士さんに掴みかかり暴言を吐き殴りかかる





母は79歳。


認知症と糖尿病で特養のホームに入っています。


母は、病気を患う前から直ぐに手を出す親だった。

 

アザになるほど叩かれた事もあるし、髪を掴まれ階段から引きずり下ろされた事もあった。


私が幼い頃は「親はそう言う物なんだ」と思っていたから、自分が親になって初めて子供に手をあげる恐ろしさを知った。


そして、母との最大の確執を生んだのは、2人目の悪阻がひどく実家に帰った時、息子への接し方で母と言い争いになり


怒り狂った母は、1才半の息子に硬いじゃがいも🥔を投げつけたのです。


息子に手をあげた母に私がキレて、まさに取っ組み合いになり兄が仲裁に入ると言う事がありました。


それから数年は口を聞かず疎遠に…。


母が認知症になり始めた頃、私が実家に行くと「勝手に物捨てられた」と言うようになり、


「おでん🍢を作ったから」と持たされた鍋の中は、泥が付いたままの野菜とさつま揚げを出汁で煮た物だった。


高級化粧品を勧められるがまま定期購入。兄が気がついた時には支払いが38万円に。


一度口に入れた食事を何度も出したり入れたり


3年程で、どんどんと症状は進行していきました。


そして、徘徊し始め警察から連絡が来るようになり


私の事も兄の事も忘れ


「死ぬまで側に居てやりたいんだショボーンと母の事を想う父の事も忘れてしまいました。


そして、攻撃的になっていったのです。


自分の親が他人(お医者さんや看護師さんホームの職員さん)に暴言を吐いているのを見ると


とてもとても耐えがたい気持ちになる。


認知症でも、ずっと黙って徘徊してるおばあちゃんだったら良かったな。


まだ、保湿クリーム食べちゃうおばあちゃんの方がマシだったな。


私の親が人様に迷惑かけている危害を加えているなんて絶対に嫌だ。病気で仕方ないのは理解していても本当に辛い。


銀座の宝石店でマネキンガールをしていたデヴィ夫人似の母は、外国人とよく間違われていた。


そんな美人だった母に恋をした父は今でも母の事が大好きだ。


母はもう大切な思い出も大切な人の事も覚えていないけれど


母に会う時、父は嬉しくて抱きついてしまう。


「おー生きてたかねー❗️」と。


そんな嬉しそうな父を見ると


たとえ大切な人を忘れてしまっても、大切な人の為に生きていると言う事は


大切な人の為に出来る最後の事なんだと思う。


目も合わず、ずっと怒った表情の母だけど父は涙を浮かべ写真を撮りまくる🤳


無表情な母だけど、脳みその端で「この人嫌いじゃないしょんぼりと父の事を感じてくれている事を


私は、少し期待している。