私は決して霊能力がある訳でも アニマルコミュニケーターでも 何かの専門家でもありません。
大好きな動物さんを天へ還した 普通の主婦です。
ただ 同じような境遇の方の なにかのきっかけになれたら。。。と思い書いています。
もしも 配慮が足らず 私の書く内容でご気分を害されたり 辛さが増してしまったりされる事がありましたら 申し訳ありません。。。 

大切な動物さんたちとのお別れは本当に辛いですよね。
命あるもの 形あるもの、全てにおいて
必ず 終わりがあって
遺す側 遺される側、自分もいつかは そのどちらかになる。

どんなに
「ずっと一緒にいようね」
「一生一緒にいたいね」
「永遠に一緒にいられたらいいね」と話していても 想っていても。

遺す側、遺される側になることで 更なる学びを得られるように、と動物さんたちと決めてきたシナリオ通り その日はやってくる。

ひとり取り残されたようで 寂しくて悲しくて 涙するのは自然なこと。
それだけ その動物さんたちを大切に想っていたということ。

でも 遺された側の"それらの想い"と 遺す側が"天へ還ったこと" の本当の意味は また "別の話"。
そこを "別の話" と切り離せないと辛さが倍増してしまいます。

例えば私の場合。 
そらちゃんが突然、天へ還ってしまって むっちゃくちゃ寂しくて悲しくて辛くて泣いたけれど その私の "寂しさ"と "そらちゃんが天へ還ったこと" の本当の意味は また "別の話" なんだと思えるようになったら
今でも泣く時はあるけれど 泣く理由や想いが変わったんです。

自分にとってなにが腑に落ちるか、落とし所が明確になると 捉え方が変わったんです。

遺した側は一緒に決めてきたシナリオを思い出しているので そらちゃんにとってはこう。
↓↓↓
『・タイミング通り出逢えたのに?
・一緒に楽しく魂のお勉強したのに?
・ちゃんと魂の成長できたのに?
・先にお空に還るって決めてきたのに?
・これからは見えない姿でサポートするってシナリオなのに?

なんでママ ずっと辛そうなの?
一緒に過ごせて楽しかったね!って
魂の成長出来てすごいね!って
もっと褒めてー!
見えない姿で今も側にいるよー!』
って思ってるって。

新しい視点、概念を知ることで 日々気づかせていただいて 私の中での 腑に落ちたこと、落とし所を見つけることができました。

どのようなお別れでも 遺した側の動物さんは 自分の一生の最期の瞬間まで飼い主さんと "こころ供に" 「ずっと一緒」「一生一緒」をちゃんと貫いてくれました。

ならばあと一つ。「永遠に一緒」
を完成させるのは遺された側のやるべきこと。
私たち飼い主にはそれが出来ると信じて 動物さんたちは "共に学ぶというシナリオ" を一緒に作って出逢ってくれたということ。
私たち遺された側の地球での一生が終わるその瞬間まで 見えない姿の動物さんたちと "こころ供にあること" 。
それが「永遠に一緒」の完成だと思っています。(私の中の新しい概念!)

大好きな動物さんたちをこころに描いて
寂しい 悲しい時は泣く。
楽しい 感謝できる時は笑う。
そうやって 「ありがとう」と微笑める時間が 少しずつ 少しずつ増えるといいなと思います。