生きる事と活きる事 | 風の男の子 土の女の子

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いつも読みに来てくださって、ありがとうございます。


府ごもり、街ごもりの日々が続いています。そして、まだ続きそうですね。

図書館が開館してくださっていて、予約本がどっさり積み重なっているのが幸いでございます。

和歌山や奈良の神社仏閣、兵庫や京都の日本海側、琵琶湖一周、日帰りで行く、岡山、島根、鳥取、福井、石川、三重、愛知よ!恋しいよ~!

府外、府内でもミナミやキタに、今までどおり行けなくなって、一年半は経つ…きっと二年経つのでしょう。

同じ年月、友人達にも、リアルでほぼ会える事もないまま、感染者数は激増。

なので、ひかりのいとの公式LINE作っちゃいました🤣

使い方に慣れるために、まずは友人達に協力してもらって、動作確認をしてみてから、ご案内させてもらうつもりです✨


昨日、朝、急にじわぁ~っと浮かびあがって納得した事を記録させておいてください。


生きると活きる


浮かんだままをシンプルに書くと、


「生きる」は生存に関するもの。肉体という命の存続。食べる  排泄  健康 病気。

「活きる」は自分という個の存在の表現。趣味嗜好、仕事、特技、癖。

その2つが調和、反映、融合しているのが「生活」なのか!


と、私にとっては、こんなシンプルな事を、初めて知ったような気づきだったのです。

生きる  が体で、活きる  は霊的…スピリチュアルはこちら側なんだ。


解説に入ります。自己満足なので、どうぞこちらでさようならしてくださいませ。


私は、おかげさまで、これまで大病の経験がなく、健康が、あって当たり前のものだから、肉体に無頓着で、粗雑に扱いがち。

なのに、なので、か?肉体のアクシデントに、とてつもなく弱い。痛い!という事に、子供の頃から異常に恐怖心がある。自分自身の痛みには、簡単に心折れてしまいます。

体の痛みのない悩みや苦労のほうが、絶対楽!

っていうのが、子供の頃からの持論。

(そして、それが現実になっていた今世初期よ… 笑)

だって、痛みも熱もないから!それに比べたら、逃げる事だって出来るし、解決しようと動ける。

でも、病気やケガの痛みは、逃げられないし、1時間痛かったから、10分休憩…なんてわけにいかない。解決するために自分が出来る事も、動く事もできない!もしくは限られている。死ぬかもしれない!

たやすく、恐怖にとりつかれてしまいます。


痛みや体の異常を感じると、スピリチュアルは、命を失う病や事故の前では無力!と簡単に思ってしまう。

医療現場や人命救助に携わる人達をテレビで見かけたり、身近な人が病気やケガで大変な話を見聞きすると、スピリチュアルケアはままごとみたいなもので、実際の体の痛み苦しみ、命に、なんの効果もない。と、無力さがよぎったりする。と言いながら、キリストの奇跡同等のヒーリングが存在していた、遥か古代の文明では、現代の医療者に値する、レベルの高いヒーラーだった気がする(当時は、1人だけ特別な能力というわけでなく、今の医療職くらいの規模で専門的な人達がいた。…気がする🤭)、おめでたいヒト、それが私。だからこそ、現代の超微弱な、直接命や病を救えないヒーリングにイラついているという感覚がどこかにある、どこから目線やねん?と退かれてしまってもしょうがないけど、なんか…どうしてもある。

あのパワーがこの世界に、なぜない?いつなくなった?くらい思う。

今世は特殊能力を持たず、その時代の日常の幸せを味わうを選んできた。…気がする(しつこっ!笑)目に見えない世界は、どうしても疑ってしまうけど、惹かれる運命なんだよなあ。そしてある程度までは、目に見える、体感できる状態にはできるとこまでいくけど、自分だけが認めそうもない(笑)ホロスコープと魂の地図を見て、つくづく思う。呆れるくらい青写真のままだ。そう、ホロスコープや魂の地図は受け入れられるところが、やっぱりおめでたい(笑)


生きる事と活きる事に気づいて、バランスがとれそうな気になってきました。

私が普段重要視してしまうのは、活きるほうだっただけか~。

時々、生きるほうを目の当たりにして、いろんな感覚が動揺するんだな。

やっぱり、目に見える現実を対策しないと!やっぱり健康は、食生活だ!代謝だ!運動だ!清潔な環境づくりだ!

って、なる。

(アダルトチルドレンやインナーチャイルドで学ぶ、サバイバルの部分でもありますね。)

そういう時に、そういうアンテナが立って、実践されている方や、楽しまれている方のブログを探し、読者登録させていただいてます。

なんでこのスピ系っぽい人、私のブログに来るのかな、畑違いなのにと不信に思っていらっしゃる方、そういうわけでご了承いただきたいです。

丁寧に生きている人、生活を楽しんでいる人や、ご自身の体の声を聞き、向き合っていらっしゃる人、生きる事、命をサポートしている人に憧れ、言葉どおり尊敬しているのです。

だけど、私は活きる方の学びをし続けていて、そちらでサポートできるのだ。

でも、両方できないと完璧じゃないよね。と、どちらの世界も認めきれず、あきらめきれず、結果、両方ともに不信感を抱き続けてきたんだ。


ああ軽くなった~✨


私は、命を救う技術もないし、生きる事に散漫になりがちだけれど、そこを突き詰める事はやめよう。活きる方は実践も学びも、学んだ事をお伝えする事も、楽しく取り組めているのだから。

生きる事も活きる事と同じくらいの感覚で取り組めばいい。取り組むという感覚ではないくらいに。

今まで、コンプレックスという重みを与え続けてた。必要以上に。

それでも、これからも痛みへの恐怖心や、ギャア~やっぱり無理!無理無理無理!って心は簡単に折れます(笑)

自分なりに、融合調和したとき、どんな「生活」が現れるのやら。ユニークそう!

その時には、それが「普通」なので、変化にも気づかないのだろうけど、そこが人生の醍醐味なのさっ!


最後まで、しつこい長文おつきあいいただきまして、ありがとうございました。