筆写も楽しんで続けているとこんなことがあります。
ある人の考えと別の人の言っていることが似ているとか、全然違うとか。
そりゃそうですよ。みんな人それぞれちがうのですから。
たとえば技術の習得について古武術の達人甲野善紀さんが
>素人の弟子は最初から細かく教えてもらえるけれども、本職になる覚悟で弟子として入ると雑用ばかりさせられている。それはいじわるなように一見見えるけれども、ある時期からちょっと知ってた素人を追い抜いて急速に進歩する。(H22.8.2のブログ『職人と弟子』)<
どのように昔の人は人を育てたかという事例に対して、現代の「デジタル屋台」はパソコンやアニメや3次元グラフィックを駆使してサポートをつけて初心者を即戦力に使えるような働きやすい環境をつくろうとしている。
>パソコンの画面に示される「リアルタイム作業マニュアル」である。500枚以上のアニメ(三次元データ)と音声による作業手順が1工程ずつ自動的に表示されるため、作業者はマニュアルのページをめくることはおろか、工程の順番や作業内容を覚える必要がまったくない。(昨日のブログ『デジタル屋台 ローランドDGの場合』)<
で書き続けていると、今は水性ボールペン(ゼブラのSARASA0.5)でノートに読んだ本で気に入った
ところを写しているわけですが、このでデジタル時代に(工場でさえデジタル屋台と
いうものもあらわれたというのに)手書きというアナログ的手法で取り組んでおりますと、
なにか物足りなく感じられるのですね。
水性ボールペンはそれはそれでいいのだけれども、もうひとつなにか足りない。
そうだ、筆だ、墨だ。筆ぺんでやってみようか。
そういえば武田双雲さんという若い書家が東京新聞に子育て日記というのを
連載している。
なかなかのびのびしたいい文章だなと感心しておったのです。
そこで武田双雲さんの本を図書館から借りてきました。
これははまりそうな予感です。