〉父は三重県の旧美杉村(現・津市)出身で、祖父母はずっと美杉に住んでいました。父は大学で東京に出て母と知り合い、結婚したので私はずっと東京育ち。でも山のにおい、そして祖父母と一緒に過ごすのが楽しくて、ほぼ毎夏行ってました。 祖父が林業をしていたので興味を持ち、祖母に近所の人を紹介してもらい、家の縁側で話を聞きました。

その話を参考に、林業の小説「神去(かむさり)なあなあ日常」を書きました。


 祖父は小心者なのにいいかげん。私と似ていて一緒にいて楽しかった。遊びに行くと、駅に軽トラックで迎えに来てくれました。家の裏の畑のキュウリやナスを私にもがせるため、残しておいてくれるんですよ。でも蚊よけスプレーのつもりで、ゴキブリを殺すスプレーを掛けてくる。「違う」って思いながらも善意だから「ありがとう」と言いました。気遣いはしてくれるけど、細かいことは気にしない人でしたね。


         堅実だった祖母


 祖母はしっかり者。和裁で一生懸命家計を支えていました。祖父は稼ごうという感覚はあまりなく、破天荒なところがあって、若いころは大変だったようです。山仕事は楽しかったと言ってました。みんなで山でお弁当を食べ、力を合わせて仕事して、沢の水を飲んでーというのが好きだったんでしょう。

  

 家は昔の農家の造りでしたが、祖父が庭の草をバーナーで焼いていて、家に燃え移って全焼してしまったんです。幸い延焼も人の被害もなかったのですが、位牌くらいしか持ち出せなくて。祖父は全然しょげないので、祖母は怒ってましたね。でも後で祖父は病気になり、「どうしても、元いたところに戻りたい」と言って、焼け跡に小さな家を建ててそこからお葬式を出しました。


 祖母は「結婚しても苦労はあるで、あんたは無理に結婚しなくてもよろしい」と言ってました。祖父が亡くなったときは、「おじいさんが焼かれたり、墓に入ったりするのを見たくない」と、頑として火葬場にも行きませんでした。祖父が先に死ぬとは思わず、ショックだったんでしょうね。なんだかんだいって、いい夫婦だったというか、おじいちゃんを頼りにしてたんだなと思いました。私は独身ですが、祖父と似ているので、祖父の苦労を思うとあまり結婚願望はないですね。「まあいつかは・・・」と希望は捨てずにいようかなと。


       明るくありたい


 小説を書いてから山で働く人たちと交流が始まり、この夏も美杉や松坂、尾鷲に伺いました。山で働く人たちはタフで明るく、冗談が好き。危険を伴う仕事の緊張を和らげるためと、チームワークを円滑にするためかな、と思いました。祖父に通じるにおいがある気がします。くよくよしない、体を動かして毎日働いている人たちの強さがある。ちゃんと働いていればなんとかなるわ、みたいな。あんまり思い煩っても、後悔してもしょうがない。私は全然体力はありませんが、そういうふうにありたいなと思います。(聞き手吉田瑠里 写真戸田泰雅)


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 親戚に林業関係の人がいたのでこの三浦しをんさんの本『神去なあなあ日常』は読んでみたいと思います。