〉ここで私が示唆したいことは、「人間の持つ魅力というものは、二つに分けて考えてみるべきではないか」という考え方なのです。


 これはつまりこういうことです。


 「ただ黙って、見られているだけの場合のその人の魅力」と「何かしゃべっている場合のその人の魅力」の二つの場合がある、と思うのです。


 換言すれば、そこに会話の存在しない場合と会話の存在する場合の二つがある、ということです。


 世の多くの人は、魅力について、それをあまりにも視覚的にのみとらえているように感じます。


 人間における魅力の実体とは、そういうものではありません。黙って遠くから眺めていた時、美しいと思っていた女性も、近くで口をきいた途端がっかりすることが多いように、人間関係における魅力は、それは生きた人間、動いている人間、つまりはことばを用いている人間によって発現されている瞬間のものでなければならないと、私は思うのです。〈


                            『人蕩し術』 無能唱元  P289-290