そのアメリカの記者たちと私が一問一答の質疑をしました。質問は、日本中誰に聞いても原爆を持つ気などないと言うから、かえって怪しい。「本当にそうなんだ」と言っても、信じられないという。
最後に、若い新聞記者が立ち上がって、「そんなに日本が平和一点張りで軍事協力する気がないのなら、もうアメリカは日本を同盟国とは思わない。日本を見捨てて、全部引き揚げて帰る。それでもいいのか」 と言った。 私はこう答えた。
「そんな剣幕で言われるとは思いませんでした。 日本人がどうするかはそのときになって考えることでありますが、 私の予想を言えば、いまのあなたが言ったような、そんな態度であなた方が引き揚げていったなら、私たちの顔つきが変わります、目が覚めます」
「どうなるんですか?」と聞くから、
「その顔は私が子どものときによく見た顔です。 神風特攻隊の顔です。あなた方も写真で見たでしょう。 日本人がみんなあの顔になってやれば途方もないことをやるんですよ」(笑) と言うと、会場全体がしーんとしてしまった。
「日本人は共存共栄の世界を求めているのであって、そんなふうに言われたら、その覚悟でやります」つまり、「アメリカの出方次第です」と、アメリカ原因説を言った。向こうは、日本原因説にしたいのです。<
『アメリカ、中国、そして日本経済はこうなる』 日下公人 VS 三橋貴明 ワック(株) P180~182
これは日下公人さんが米国の記者に対して言った言葉である。
さて、現在尖閣諸島の件で日中がガタガタしている。これは民主党の代表選のどさくさにまぎれてシナの漁船が海上保安庁の巡視艇に体当たりした。NHKなどは単なる衝突事件のようにアナウンサーが報道しているがとんでもないことである。これはね、中国サイドに民主党政権が試されたんだと思っています。こけにされこけにされ、恫喝されて、ああ~いちばんやっちゃ~いけないこと仙石さんが船長の釈放をしちゃった。さ~あ 日本人が久しぶりに怒った。どうなるかは、毎日、ネットや新聞やTVで確認しなくちゃならないが、日下さんのいってるようにならないともかぎらないのだ。そこいらで、へらへらしている「おのこども」がどのように変身するかまあ見ていなさい。
マスコミは報道しないが、永田町の議員会館前などは抗議する人がかなり出ているようだ。マスコミの発表だけ見たり読んだりしているだけでは本当のことは分からない。おとなしい「あさごはん」だって怒っているんだぞ~。酒ばっかり飲んだり、平原綾香のCDや越路吹雪のCDや井上陽水の曲を聴いてよろこんでいるだけじゃないんだぞ!!
「特攻隊の顔」というのを日下公人さんは別の本でチャーチルの後悔という形で書いておられる。こちらのほうが少し分かりやすいかもしれない。
>日本の自立的変化に対し、「日本は再び軍国主義へ向かうのか」と何とかの一つ覚えのような質問をしてくる外国人記者がいる。そんなとき、私はこう答えるようにしている。
「それは、あなたがた次第です。日本は、相手が紳士的に振る舞う国であれば紳士的に付き合う。もしも野蛮で、理不尽なことを積み重ねてくるようなら、こちらもそれに応じて変化する。日本の軍国主義化を心配するのは、あなたがたが日本に対して理不尽なことをしているという自覚があるからではないのですか」
日本には力がある。日本は、訪れる国難のレベルに応じて自らを決することができる力、ポテンシャリティ(潜在能力)を持った国である。しかし、その力を活かす外交技術においては歴史に学ぶ必要がある。
たとえば1941年(昭和16年)十二月十日、イギリスが戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをマレー沖で日本海軍航空隊の雷爆攻撃によって失ったとき、時の首相チャーチルは、「日本人は不思議な国民である。交渉ということを知らないらしい。交渉の最初はどこの国でも少しは掛け値を言うものだが、日本人は反論せずに、微笑をもってそれを呑んでくれる。しかし、そこでもう少し要求をエスカレートさせてみると、また微笑をもって呑んでくれる。しかし、それを続ければ、あるとき突然顔を上げると、その人は別人になって、刺し違えて死ぬとばかりに攻撃してくる」という述懐を残している。
チャーチルが言いたかったことは、“そんなに苦しいのなら、思いつめる前に言ってくれればよかった。そうすれば、イギリスだって戦艦とシンガポールを失わずに済んだ”という後悔である。国家と国家が親善と戦争の間を「交渉」によって行きつ戻りつするのは、政治家にとってはゲームのような楽しみなのに、日本人には両極端しかないのか、という驚きの念がそこには感じられる。
堪忍袋の緒を切った大東亜戦争から半世紀以上が経ったが、日本人には相変わらず「親善か、戦争か」「友好か、摩擦か」の両極端の心理状態しかないのかもしれない。それでも戦前の日本人は独立の尊さを知っていたが、戦後は独立の尊さを自覚できないまま、孤立を恐れて、常に親善、友好といった姿勢しか選択できないでいる。アメリカに対しても、中国に対しても、韓国・北朝鮮に対しても長くそうだったわけだが、これからの日本は、時により、場合に応じて、“適当な距離を保つ”という感覚とそのための技術を備えるべきである。<
『アメリカに頼らなくても大丈夫な日本へ』 日下公人 PHP (2006年12月刊) P23~25