>ところで、この意識の敷居の高さを、自分の思ったように、自由に調達できないものでしょうか?


 もし、その高低を自由にコントロールできたら、それは実に素晴らしいことではありませんか?


 なぜならば、それがコントロールできるということは、とりもなおさず、それは私たちの幸福度をコントロールできるということになるからです。


 皆さん、ここが非常に大切なところです。


 幸福とは、ものではなく、そのものの味なのです。すなわち、幸福とは「形あるもの」にあるのではなく、「形ないもの」にあるのです。


 「味わい」こそ、幸福感か不幸感のわかれ目です。そして、それはその人の日頃の心構えによって、より多くの幸福を味わいつつある人と、より不幸に苦しむ人との二者に分かれてしまうのです。


 「幸福感覚度」の高い人もいれば、「不幸多感症」の人もおります。


 そして、人生において、幸福であるか不幸であるかのわかれ目は、まさに肯定否定の二つの入口における敷居を、自らコントロールできるか、できないかの一点にかかってくるのであります。


 では、この二者の敷居の高さを、自らの力によってコントロールできるのでしょうか?


 「できる」と私は断言します。


 それは可能なのです。しかも、考え方によっては、とても容易にできるのです。


 では、どのようにして?


 それは、自分のなかで「すべてを全的(トータル)に見る目が目覚めればよいのです。<



   『得する人』   無能唱元   日本経営合理化協会出版局 P257~258