我が家の子供たちは《ゴミ》になるよな物を欲しがる。
例えば昨日の娘。
リネン糸で編んだモチーフの糸処理で、テーブルの上に糸クズが溜まっていくのを見ている娘の目がキラーン。
長さだってバラバラで、ワタシからしたらゴミでしかない糸クズたち。
娘はそれを少しずつ自分の方に寄せて選別し結びだした。
どうゆー感覚で選別しているのか分からないけど、選別された糸クズたちで作られたのは娘曰く《ストラップ》だそうだ。
それは美しい物ではないけれど、楽しそうに作る姿や出来上がった時の笑顔はキラキラしている。
そして彼女は今日も何かを作ってる。
鼻歌まじりで、それはそれは楽しそうに。
しかし、どうして部屋で作らないんだろう。
いつもなんだけど。
大体は、リビングのテーブルか出窓で日向ぼっこしながらなのだけど。
今日は自分達の部屋の入り口前、つまり廊下?ホール?通路?と呼ばれるであろう場所でやっている。
そこはワタシの部屋に行くにも、洗濯物を干しに行くにも通る場所で、ちょっとお邪魔だったりする。
何を作ってるんだか。
セロテープとハサミの他に見たことのない袋が。
覗くと中には何かの切れ端やカラフルな紙とか・・・一見ゴミ?って物が。
彼女にとってはゴミじゃないんだねぇ。
息子は折り紙や色画用紙での工作が好きで、《ゴミ》と呼ばれるもので工作に使いたいと集めてたのはトイレットペーパーの芯。
幼稚園の頃がピークで、
『たまるまで つかわないの』
そう言ってひたすらため込んでた。
たまった芯を見せてくれた時はビックリ。
ゴミ袋いくつ分だ??ってくらいな数だった。
袋や箱にキレイにしまってベットの下や押入れの奥、机の中や本棚に隠していたのだ。
大事に集めたものだから今度は使うのが勿体無いと言い出した。
暫く放っておいたら何かを作り始め、それを見て《ゴミ》である芯を欲しがった娘にも分けてあげ、色んなものを作ってたなー。
そんな工作物たちも後々はゴミとなってしまうのだけどね。
それでも、その過程で小さい何かを得ているはずだと思うんだよなー。
さて、なにやら出来てきたようです。
オバケチケットがどーのとか言ってるなぁ。
すごっ!とか言ってるなぁ。
マジでー!?だって。
終わったら部屋は片せよ。