前回の発表-oto-
“おりあい”と“あるがまま”について考えた。
でもふと考えてみると、僕らの日常は折り合いに溢れていることに気づく。
土日の連休、実家に帰った話。両親不在の家で家事とおばあちゃんの世話に追われる。ゆっくり本でも読んでのんびり過ごそうかと考えてたけど、やらなきゃならないことが多すぎて余裕が全くない。でも、これが親の日常だと思った。繰り返しの連続。折り合いの日々。
~しなきゃいけないのに…する。
~したいけど、…しなければならない。
ただ、これがあるがままなんじゃないかとも思った。
あるがままの自分とは、現実と別のところにあるわけじゃなくて、日常の中で折り合いをつけてる姿こそが、まさにあるがままの自分じゃないかと。
畑に水を撒かなきゃいけないのに、もう少し音楽を聴く。
もう少しボーッとしていたいけど、犬の散歩に行かなきゃいけない。
人や事物に折り合いをつけてる、その時々で何をどう選択するのかが、あるがままの自分かな?
でも、そんな現実の中に、ふと気づく人や世界とのつながり、幸せに感じられるささやかなことに溢れている。見逃しがちだけど…。こんなことを作品にしたい、現時点でのotoです。
当たり前のことしか書いてないけど、こんなことを前回発表しました。要約できてるか不安ですが…。