■ 六話 命は自分のものだけではない
アスベスト問題も先延ばしになって、2日後、息子のクラスでお寺の住職の命についての説法があった。
保護者も出席してもいいということなので、私も出席した。
2時間の説法で、途中15分の休憩をとっている。
袈裟を着た男性がクラスに入ってきた。これが、息子のクラスの裕子ちゃんのお父さんなのだろう。
以外と若いのには驚いた。40才前だと思う。長身で細身な今風な顔立ちだ。どうみても住職という雰囲気はない。
袈裟を着ているから判断できるという感じだ。
彼は、教壇にたち、一礼すると、黒板に大きく 死の世界 という字を書いた。
何の意味があるのだろう。席の後ろには、15人くらいの保護者が立っている。
父親よりも母親が圧倒的に多い。中には、録音するためのボイスレコーダーを持っている人もいる。
書き終えると、顔に似合わない太く大きな声で「死んだ経験のある人は手を挙げてください」といきなり話し出した。一体、何を言うのであろうか。勿論、誰も手を挙げる子はいません。
「誰もいないかな、そうか、一人もいないようですね。死んだことのある人がいたら代わって話してもらおうと思ったけど一人もいないようなので私が話します」と言う、何やら教室の雰囲気が変わってしまった。
笑っていいのか、笑ってはいけないのか子供があせっているようだ。
「死んだことがなければ、死んだ後のことは知らないはずですね。それと、死んだ後に自分がどうなるかということも知らない。死の世界に行ってみたい人は手を挙げて下さい」とまた、質問である。
子供たちは、何と答えていいか分からないし、勿論、死にたくもないから誰も手を挙げない。
「皆、死にたくないし、行きたくもないということですね、それが当たり前なのです。誰も死にたくないのです。死というものは、何か怖いと思っていますよね。そうなのです、怖い世界なのです。怖いと思う世界に行きたいと思っている人は誰もいないのです。何故、死の世界に行くのでしょうか。それは、死の世界よりも今の世界のほうが怖いと思う気持ちが強くなるから死の世界に憧れるのです。」さらに続けて「でも、可笑しいと思いませんか、死の世界を見たこともないのに、死の世界のほうがいいと思っているのです。これについては可笑しいと思う人は手を挙げて・・・」と聞くと、何人かの子供たちがゆっくりと周りを見渡すように手を挙げた。
それにつれて、ほぼ全員が手を挙げたのだ。
「はい、皆さんは全員正解です。知らない世界に行くということのほうが、よほど怖いのです。つまり、今の世界のほうがいいのです。今の世界がいいのに、死んだらもっといい世界に行けるということは大きな勘違いをしているのですよ、分かりますか?・・・」と問いかけた。
子供たちが頷いている。何だか面白い展開になってきた。まさか、こんなことを話すとは思いもしなかったのだ。
何やら不思議な住職である。
死んだらだめというよりも、全く違う目線で子供たちに接している。難しい話にしていない、何となく分かって欲しいというレベルでの話しなのである。
住職は、色々な例えを出しながら、話を続けている。
「次は、死んだ人に会って話したことのある人はいますか?・・・」と聞いた、子供たちは誰も反応しない。
「誰もいないのですか・・・後でそのことは話しましょう」と一旦、話を止めた。
この住職は、死後の世界について語っているのだ。一般的にいう命の大切さということを話すというよりも、死んだらどうなるのかということについて語っているのだ。
子供にとっては、とても理解しやすいと思う。子供の目を見ているといきいきとしている。
保護者にとっては、命というかけがえのないものを説法してくれると思っていたのだが、全く別の次元から話している。小学生に対しては、このような話でいいと思う。
「さて、これからは、3,4人づつのチームになって、死んだ後の世界について推測してもらいます。どんな世界ならいいか、どんな世界にしたいか、皆が考えることを100字の文章にして下さい、10分の時間でお願いしますね」と言って、用紙を渡しながら子供たちをチームに分けた。
■勝汰章の著作刊行本
「笑顔になるための246のことば」
悲しみを乗り越える時に・・・
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■勝汰章のHP http://katsuta.yu-yake.com/