四話 いじめと宝物見つけた

艶子さんの引越しも無事に終わって、住んでいるようである。

その後、艶子さんが来ることはなかった。多分、部屋の片付けが忙しいのかもしれない。

私に言わせると、一生忙しくしておいて欲しいものだ。

それと、息子と一緒に住んでいるから、話し相手もいて、以外と寂しくなくて、他人の家に行っておしゃべりをする必要もないのかもしれない。

以前は、艶子さんが一人で住んでいたから話し相手もなくて、毎日、ぶらぶらしていたのかもしれない。

ある意味において息子に感謝しないといけないのかもしれない。

ある日の夕方である。学校の連絡網で電話がかかってきた。

明日夕方、緊急の保護者会があるので必ず参加して下さいとのこと。

何でも、子供同士のいじめについてのことのようだ。何かあったのかもしれない。

最近は、いじめで自殺する子供の報道が多くなっている。人ごとではない。

息子は、いじめにあっていないと思うのだが、本当のところは息子にしか分からない。

以前、息子の祐樹と、いじめについて話し合ったことがあった。

祐樹のクラスでも、軽いいじめはあるようだが、加担したりしていることはないし、そのいじめも単発的なもので、続いていることはないと言っていた。

私の子供のころには、いじめられたりいじめたりした記憶はある。特に、女の子は難しいように思う。

しかし、続くことはなくて、自然になくなったり、また、違う子がいじめられたりしながらの学校生活であった。

思い出というには語弊があるかと思うが、それ以外の良い思い出のほうが多かったので、今思うと気にしていないのかもしれない。いじめというものは大人の社会にも多く存在している。

就職した時に、先輩にいじめられた記憶があるが、それがいじめという言葉で片付けられるのか、単に、新入社員だから小言が多かっただけなのか、相手に聞くこともできないので不明である。

あの当時の私にとっては、いじめという認識があったのかもしれないが、相手の先輩社員にとっては、早く仕事を覚えなさいという愛のムチだったのかもしれない。

今となっては、どうでもいいことなのだが、あの当時は出勤するのが辛い日もあった。

と、昔のことを思い出していた。

息子の祐樹が学校から戻ってきたので、明日の保護者会の議題のいじめについて聞いてみた。

「いじめをしている人はいるの」と聞くと「いるよ、何人もいるよ、僕はいじめられていないけど・・・」と坦々と答える。「祐樹がいじめている友達はいないよね」と恐る恐る聞くと「そんなことはしないよ、だって人をいじめちゃいけないんだよ。お母さんも先生も言っている」と僕は誰もいじめていないということを子どもながらに力説している。何か安心したのと、この子は本当のことを言っているのだろうか、もしかしたら、いじめに加担しているのではないだろうか。親としては、100%信じたいのだが、一抹の不安はある。

親が子供を信用しないで、誰が信用してくれるのか、はっと気付けば何とも情けない親である。

「祐樹は大丈夫だよね」と言うと「当たり前だよ」と言って自分の部屋に行ってしまった。

その後ろ姿を見ながら、何かほっとした。

明日の保護者会は、どうなるのだろう。誰かがいじめられているから緊急なのだと思う。