不思議体験日記(出雲大社参拝体験 その22(揖夜神社の拝殿の前に立ち、鏡に映ったものとは?) | a-riman666のブログ

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第215話


こんばんは、
菊水千鳳です。


出雲大社参拝日記を連載していましたが、靖国神社の英霊さん達からの直々の要望がありまして、前回と前々回の日記を、英霊さん達からのメッセージに関する内容の日記として掲載させていただきました。

再び、出雲大社参拝体験日記の連載に戻ります。
今後も緊急メッセージや体験談があった場合、そちらを優先的に日記として投稿させていただきますので、あわせてお読みください。



神魂(かもす)神社の次にお伺いしたのは、 揖夜(いや)神社です。

主祭神はイザナミノミコトさんです。

この場所で、俺が抱えてきた、俺自身も気が付かなかった、幼少期からの秘密が明らかとなる大きな出来事に遭遇しました。


話は少し前に戻ります。
出雲大社参拝に行こうと決めた頃、沢山ある島根県内の神社の中で、スピ友さん達と参拝候補を選んでいた時でした。

突然、スピ友さんの超感覚レーダーが作動しました。

いきなり、雑誌に掲載されている、揖夜(いや)神社の拝殿の写真を指差して、
【何ここ?吸い込まれそう、とても居心地が良い感じがする。
包み込まれるような、母の胎内にいるような、頭の中が無になる感じ。絶対ここに呼ばれている】と言いました。

それを聞いて、確かに俺も同じ感じを確認しました。
こうして、揖夜神社参拝は決定となりました。

何しろ、神々の母であるイザナミさんが祀られているのですから、何が待ち受けているかワクワクしました。

ただし、揖夜神社の選択は俺の側からは最初からは察知出来ずでした。

それは何故か?

ある種の見えない妨害が、俺を揖夜神社参拝から遠ざけていたからでした。


話を戻します。

神魂神社から揖夜神社へ向かう車内で、スピ友さんの超感覚レーダーがまた反応しました。


俺のちょっとした振る舞いに違和感を感じると言うのです。
《小さい子どものような動作をしている》と言うのでした。

それを聞いて、俺は【はっ!】と思い出しました。

以前、とあるパワーストーン屋さんの店長さんに、俺に小さい子供の霊が取り憑いているのではないか?
10歳くらいの女の子がいる、と言われたことがあったのです。

俺も何気に薄々気付いていましたが、何気なくやり過ごし、あまり深く考えていませんでした。

時々、10歳位の女の子の気配を感じたり、俺のそばにいるんじゃないのか?と感じたりしたことは幾度となくありましたが、余り深く考えたりせず、対処せずにいました。

この時、スピ友さんに指摘されて真剣に霊視したら、やはり10歳位の女の子がいました。
俺がおそらく、7歳の時に憑依した模様です。
この子は病弱のまま、7歳で他界した先祖霊でした。

当時、同い年の俺を見て、人生を生きたくて、憑依したのだと感じました。
俺はこの日まで、ずっとこの子と同化していたのです。

この先々、神仏事に携わっていくのに この子がいることは相応しくないので、この子を切り離さないといけないと意を決しました。

憑依されている本人は、何となく気付いたとしても中々行動を起こさないことが多いものです。
憑依されている間は、憑依している側の強い【居座りたい】という思いの影響を受けてしまうからです。


揖夜神社に近づくにつれて、イザナミさんの大きな気配を強く感じてきました。 

ここはペチャクチャと陽気に参る場所ではなく、大人の神社の雰囲気がありました。



鳥居を潜りました。





何かこう、シーンと静まり返ったような、音がしないというか、無になる感じの空気に溢れていました。




拝殿前に立ちました。
柏手を打って、イザナミさんからのメッセージを待ちました。
しかし、イザナミさんはいらっしゃるものの、一言も喋ってきません。

気さくなイザナミさんが無口になっていました。
神様がいらっしゃるのに声が聞こえてこないのには驚きでした。

よく見ると、拝殿の奥の真向かいに丸い鏡が置いてありました。

参拝者の姿を映す鏡でした。

鏡を見た瞬間、 先程参拝した神魂神社の摂社【伊勢社】の前に立ったときに、霊視で視えた 丸い鏡を思い出しました。
伊勢社で、いきなり目の前の空間に丸い鏡が現れたのです。

この時、アマテラスさんは言いました、
【気づき鏡に(ソナタ等が)映っている】と。
これで、アマテラスさんが見せてくれた気づき鏡とは、揖夜神社の鏡のことを指し示していたのだと理解しました。

まさか、揖夜神社に鏡が祀られているなど知るはずもなかったからです。
(一般的に神前に置かれているものとは異なって、外に置かれていました。)


イザナミさんは俺達をひたすら見つめていました。
特に俺を見つめていました。

鏡を見つめた後、下されたイザナミさんからのメッセージはこうです、
【鏡に浮かぶ己を見よ。
憑り付いている幼子が映っておるではないか。
然るべき場所へと帰してお上げなさいな】と。

ここ揖夜神社は、黄泉の国(あの世)へと繋がる場所、または、この世とあの世の境界線であると言われているようですが、なるほど納得しました。

ここに呼ばれた理由は、死者と生者を切り離し、死者を本来のあの世へ誘うためだったようです。


拝殿を後にし、 こちらでも摂社に軽くご挨拶をして、揖夜神社を後にしました。


厳粛な雰囲気を醸し出す、この世とあの世の境界線上にあるような揖夜神社。
生きていること、生かされていることの尊さ、恵み、感謝することを教えてくれているような気がしました。


次に向かったのは、ここから車で5分程行った所にある、【黄泉比良坂(よもつひらさか)】と呼ばれる、生者と死者の境界線と言われる場所です。


そこで待ち受けていたのは…


続く。