【泳ぐ思考】


きっと今日は、最良の日になる気がする。


もう少しで「めぐりあう時間たち」を読み終わる。今、ローラが夫の誕生日を祝っている。テーブルにケーキ皿とフォークを置いたとき、とつぜん、すべてがまとまった。



【泳ぐ思考】


ずっと気持ちに暗雲を落としていた痴情のもつれみたいな仕事のキリがついて同じ仕事に哀れにも絡め取られている同僚を残して思ったより早く帰ることができた。急に元気がわいてくる。

「できない間に合わない」をまき散らしてからのイチ抜けに自分の胡散臭さと他人の残業に付き合い切らない裏切り具合が残念だ。こんな悪いやつは疎まれて当然だ。謙遜し自分を矮小化させて面倒をみさせてからの実は先に出来上がりしかも見捨てて帰るなど人の道にもとる。こんなボクでごめんね。パパとママにありがとう。

だが出来上がるまでに手を貸してくれた皆さんについて、皆さんは仕事ができて親切な自分、という立ち位置を上手にアピールして評判を上げる場所があったのだから差し引きでいいのではないかと思う。

人は誰が見ているか、誰に見られていないかで行動が変わる。そのへんが発達障害の自分には分からない。学生時代の友人が影で悪口を言われていたことに腹を立てていたが、そういうものであろうことに腹を立てるのもよく分からない。逆に言えば、よほど信頼できる人ばかりと暮らしているに違いない。

新しく異動してきた同僚がめっちゃマイペースで好きだ。みんな集まりましょうというのに小銭を数えている。キリがつくまで手を離せないので遅れるという感じだ。わたしは朝から忙しくてご飯も食べられていなかったので彼女が遅れるのに便乗してその同僚のそばでお菓子を食べる。

人前では無難な対応をしているが、ふたりで残るとイヤそうだ。彼女は硬貨を1枚床に落としたかもしれないと言う。わたしはお菓子を食べている。彼女はお金を片付けている。わたしはお菓子を食べている。片付け終わってわたしも諦めて一緒にみんなのところへ行く。

なんか人がイヤそうでも気にならないところがわたしの悪いところかもしれない。でもいちいち気にしていたら本当にやっていられない。イヤかどうかは相手の人間の器の問題だ。相手の器量が小さいことにわたしが責任を持たなくてはならないというのがよく分からない。

イヤそうなのを見せられるのは不快なものだが人間は不完全なものだと期待しなければ諦められる。だいじなことは、私はお腹が空いていたし、食べることのできる隙間がそこにあってとりあえず自分は自分を満たすことができたという成果を見ていたい。

人の気持ちは「好き」のほうも実はよく分からない。好き、と言っていても人はキライになる日が来ることもあるし、嫌いと言っていても何かの拍子に好きになることもある。たまたま今日、良い面に接しているだけで、明日悪い面をみるかもしれない。

顕在化していないだけで、それは別に最初からそこにあるのだ。場面によって評価の軸も変わる。どんな場面でも、相手もわたしもとりあえずそこに存在してしまっている、という結果に着目する。それぞれはそれぞれなりの理由でそこにいて今日を生きている。可もなく不可もなく。

だから可もなく不可もなく、そこに生かしておけばいいのだ。職場の人が雑談をしている。わたしはネコみたいな性格だから。自分はどうだろう、スルーはするが申し訳ないなと思う物差しを相手に求めがちなのはイヌ的と言えそうかもしれない。

「好き」にも「嫌い」にも鈍感なくせに敏感な人がくれるものの心地よさには心当たりがある。大切に扱ってくれるその日差しに当たりたくてしばしば訪れる。それは「好き」なのか。

少なくとも相手はわたしが相手を好きだと思うだろう。しかし、わたしは相手がくれるものが心地よいから寄るのである。これは「好き」ではなく餌付けのようなものだと思う。すると、その親切は万人に向けたものではないと相手は言う。わたしにはそれが万人に向けられたものなのか、わたしだけに向けられているのかが分からない。とりあえずくれるものをもらう。

状況がタフになると、そういう安心をくれる人に避難する回数が増える。増えると、ますます相手は自分のことが好きなんだと思う。大いなる誤解だと思う。私が幸せならそのように展開していない。

そんな誤解のもとでよく顔をみていた人が入院してしばらくになる。気にはなるが連絡先までは交換していなかった。というか、連絡先を交換するほど距離は詰めたくなかった。週に何度も顔を合わせて親切をもらっても、相手と自分の間にはクレバスが開いている。

生きているのか具合はどうなのか気になるけれど、果たしてそれは単にまたくれる親切が欲しいだけなのではないかと疑う。もらうばかりの私から解放されて自分にはストレスがかかっていたんだと思っているかもしれない。あるいは、そんなことを思うのは私から見た世界で相手はほかのたくさんの人のなかのひとりであるわたしを思い出しもしないかもしれない。ま、病人のいちばんの関心事は自分の病状なのはまちがいない。

いないならいないなりに今日を生きている。いてくれたほうがよかったけれど、でもいなくてもやはり生きている。ごはんを食べて、自分をきちんと生きて、眠って身体を休めてまた明日起きる。毎日、今日を生きている。失われた人がいたことがあったと思ったりしながら。

【進捗】

・優先順位をつけて順番にものごとを行なっている。

【満足】

・とりあえず今の時点では締め切りには間に合っている(と思う)

【希望】

ただふつうに今日も生き抜きたい。



【泳ぐ思考】


月曜休みをちょっと家の片付けに使ったら床に眼鏡が落ちていてツルが曲がっていた。どうやら踏んでしまっていたらしい。

電車に乗って直営店まで直しに行く。近所の眼鏡屋は信用してない。もうせん直りませんと言って新しいのを売ろうとしたから。

「めぐりあう時間たち」という小説を読んでいてとってもまっすぐなので自殺したり出奔したりする人たちと出会う。リルケが引用されている。表現しなければ生きる価値はない。

ひるがえって自分は表現が苦手だ。ひとつはアウトプットはインプットよりも時間がかかる。もうひとつは技術が要る。アウトプットに逡巡する間に本が何冊も読める。

表現したところで理解されるとは限らず、満足できずに自己評価を下げる、タイパもコスパも悪い。

だが、それを避けずに向き合う者に経験が技術を与える。コストを考えているうちはまだ捧げ方が足りないのだ。

【進捗】

・ジムのパーソナルの人はマシンの使い方を教えるだけの人だった。入会ならず。

【満足】

・とりあえず致命的なミスは犯していない(と思う)

【希望】自分で勝負したい

・自分を「作品」にしたい

・デザインと、ひとつひとつに向かって具体的に時間を割り振る

・人にふりまわされない

・全体のビジョンを意識して、まなざしを切り替える 「おばあさん劇場」に気をつける

→とにかく整理整頓



【泳ぐ思考】

考える時間を作らないと考えは生まれないし、考えるためには問いがなくてはならないし、問いを生み出すためには目指すものがなくてはならないし、目指すもののについてはやはり考えないといけないので、

とりあえずゆとりのある頭で横になってぼんやりと思考を泳がせている。

目指すものは、自発的に動く仕組み。内的動機の確立(興味関心・損得)と適切な課題、ルーティンの設定。ルーティンを遂行できる環境の整備。

個別の特性も調べておこうか。

【進捗】

・こんどはジムのパーソナルトレーニングを体験してみることにした。
・モラハラ野郎が失礼なことを言い始めている。塞いでいこう。

【満足】

・とりあえず致命的なミスは犯していない(と思う)

【希望】自分で勝負したい

・自分を「作品」にしたい

・デザインと、ひとつひとつに向かって具体的に時間を割り振る

・人にふりまわされない

・全体のビジョンを意識して、まなざしを切り替える 「おばあさん劇場」に気をつける

→とにかく整理整頓



【泳ぐ思考】


ふと東京モーターサイクルショーの前売り券を買っていたことを思い出して無駄にはできぬとバイクを出してひとっ走り行ってきた。

トライアル競技のデモを見て、列に並んで静止した車体に乗せてもらった。バランスを上手に取ればブレーキなしで止まっていることができる。

自転車に乗っているのを想像してほしい。車体は右に左にゆらゆらと揺れる。ステップを小さく右に左に微調整して倒れない状態を作り出す。静止は動なのだ。

先日見終わった「The Circle」というドラマを思い出す(過去日記参照)。集団のなかで人間関係をキープするためにつよいゲーマーはコミュニケーションを密にとって自分の位置を確かにしていた。

自分はもったり座ったあとは(寝転んだあとは)動かない。動かないのが好きだ。安定するから。主な理由は「面倒くさいから」。動かないために動くという新しい考え方にちょっと驚いた。

今日になっても昨日ボランティアで世話をした「りくとくん」の闇に飲まれている。あの子は人なつこいから可愛がられるだろう。同時に自分のやりたいことが強いので嫌がる友だちもいたのだろう、だから同年代の子と遊べない。

人見知りをしないというより、新しいボランティアの人はノーと言うのに慣れていないことを経験的に知っていたのだ。大人の付き合いのなかに「弱い」と見るとマウントをとろうとする人がいる。

子どもは包み隠さず、無邪気に人間の怖いところを見せる。そうか、だから疲れるんだ。

【進捗】

・会場までずいぶん遠かったのでよい運動になった

【満足】

・バイクに乗った

【希望】自分で勝負したい

・自分を「作品」にしたい

・系統だったものを選びたい

・人生の説明を分かりやすくしたい

・つじつまを合わせたい

→とにかく整理整頓



【泳ぐ思考】


自分の仕事のひとつは高校生へのボランティアの斡旋だ。先月、切実に人が欲しそうな電話がかかってきたが、高校生は見向きもしなかったので自分が行ってみることにした。

今更ながら気が利くことを要求される女子の職場は苦手だが好奇心が勝る。とりあえず子どもウケしそうなピンクの服を着て出かける。

メガネも怖がられるといけないからコンタクトレンズにしようとケースを開いたら、片目を家に忘れてきたのに気がついた。しまった、言って、自分もADHDだからね、うっかりするのはいつものことさ。しょーがない。

5分前に施設到着。所長さんに「とにかくイエスマンに徹する」という全体的なルールを教わって「りくとくん」の担当になった。

車で児童館まで行く間、「りくとくん」はよくしゃべる。目にはいるもの、はいるものを皆、言葉に変えていく。これが「落ち着きがない」というやつか、でも外見は健常の子となにも違うようには思えない。

あるいは、人見知りのなさが問題だろうか、一緒に遊びたいおもちゃを持ってきたり、遊びたい遊具に手をひいてくれていってくれたり、何をしたいのかはっきり分かっているようで、動かされていればよいのがすごく楽だった。

帰りに所長さんに「どうでしたか、また今後ともよろしくお願いします」と深々と頭を下げられ、自分はそういえばただのオバちゃんボランティアではなく、高校生を斡旋する窓口の役割だったことを思い出す。

とすると、わたしがなにか不愉快なことを相手にしていても我慢されていたかもしれないんだ。なんだかな。言いたいこと言ってもらったほうが軋轢は起きてもまだ安心する。

ボランティアの対象として子どもと大人の違いだけれど、子どもは相手の知識はないままで付き合いを始める素直さがある。一方、大人は相手の背景を知って付き合おうとする。そこで大人の世界には詐称とか、騙されたという不満が存在する。

不満はないと思ったが、帰宅してからすごく疲れている。楽だと思ったのに、人間に接したあとにいつも感じる気疲れがひどい。

なにかを受け取ってしまったらしい。事業所のモヤモヤ、子どものモヤモヤ。そういえば、施設の存在理由そのものが困りごとの解決だった。こと人間のいる場所に無防備で行った自分はナイーブすぎたのであった。

【進捗】

・本を読んだ
・ヘアカットの予約をした

【満足】

・バイクに乗った

【希望】自分で勝負したい

・自分を「作品」にしたい

・系統だったものを選びたい

・人生の説明を分かりやすくしたい

・つじつまを合わせたい

→とにかく整理整頓



【泳ぐ思考】


朝から銀行で用事。気がつけば「ごとうび」でメチャ混んでいた。預金を動かそうとしたら銀行の人がワサワサ出てきて不要なものを売りつけようとする。

最近、職場には友だちがいないのに、この件では商品を売る人を選びたい放題だ。商品に大差ないなら面白い人がよいとハードルが上がる。

家で本を読む場所が決まっていないのでカフェに出て本を開く。子どもの頃のわたしは「何もすることがないときに」本を読んでいた。

人間は行ったり来たり、それぞれの意思で勝手に動いて信用ならない。それが本はいつもそこにいる。その確実を信頼し、アタシは人間に背を向けてここに永久に住まわりたい。

【進捗】

・長谷川さんの説明を聞いた

・本を読んだ

【満足】

・4月からの定期も買った

【希望】自分で勝負したい

・バイク駐輪場の契約をした

・美容

・運動

 ・怖さの思い込みを外したい

・自分を「作品」にしたい

・系統だったものを選びたい

・人生の説明を分かりやすくしたい

・つじつまを合わせたい

→とにかく整理整頓



【泳ぐ思考】


なにもすることがないとき考えることにその人の教育の成果が現れるのではないかとひらめいた。


来年度の人事に心身ヘタるほどの衝撃を受けて連休に入ったけれど意外と気持ちも持ち直して週のスタートがきれそうだ。


新しい年度の始まりは反省と展望から始まる。自分のあり方を顧み、気がついたことを生かして方針を決める。


昨年は一昨年の人たちがあまりにも好きだったのでそれを引きずってモチベがとても低かった。当然、人に好まれない。好まれないのは「そういうときもある」人生の一部分に過ぎない。飲み込まれないようにメンタルを維持するのがたいへんだった。


今年はその評判の余波を受けて、味方の少ないスタートだ。ここで反省して、自分のモデルチェンジをしてウケを狙いに行くか。たとえば、残業を厭わないとか、より立廻りを工夫するとか。せっかくThe Circle を見て学んだ政治を実践しなくてどうするか。


ただ、わたしの人生は「他の人が望むものになること」に針を振ると悪くなることに繰り返しだった。モノサシを相手に渡すのだから、それは必ず満たさないだろう。そして自分を取り戻すためにまた自分ファーストに戻る。


考えようによっては、自分ファーストで行動しても大丈夫な基盤を苦労して作り上げたとも言えるんじゃないだろうか。悪口を言われる人というポジションは悪口を言われない人というポジションより自分にとってストレスは逆に低いのではないか。


だって、自分のモノサシで行動した結果なわけだから、足元はしっかりしている。そして、いつも中立のポジションの人、つまりわたしを好きでもないが嫌いでもない人、関わる場所にいないからとりあえず当人に迷惑をかけない範囲で生きててくれと思うような人は多い。


そういう日和見がいるかぎり、とりあえず世界は白と黒とに分かれない。もちろん、団体の存続とかタイトに決断を迫られることはあって、そのときは安泰ではないだろうが、世界は広い。わたしがわたしのままでいられる場所に流れていけばいいのではないか。


そんな受け身で人間との結びつきへの希求も弱いので(弱いというより諦めている)、薄っぺらい人間関係だけ手数に揃えている。責任を持って行動し続けてきた人の立ち居振る舞いが身についていない。そこが、直すとしたら直すべきところだ。諦めることを諦めて、ゲームに真面目に参加するのが変えるといえば変えるべきところだろう。


しかし、その達観が、自分を生かし続けてきた方法でもある。余計なことを考えずに、次の目標に忙しくしていれば気も紛れる。悩みが多い人はヒマなのだというのは間違いなかろう。


こんな感じにものを考えるのはとりあえずいま、差し迫ってすることがないからである。そのおかげで「とりあえず自分の延長線上で生きる」という方針をひらめいた。


めっちゃネガティブに思考が振れるときもあれば、ポジティブに振れるときもあるわけだ。ではその境目はどこにあるかというと、知識と教養なんじゃないかとなんとなく思った。感情の井戸に閉じ込められないのはこれまでの知識が支えてくれている。ネガティブから抜け出せない人は本の読み方が足りないんじゃないかと思う。


と、今日の思考も泳がせてみた。起床したあとは、また「生活する」というプラクティカルな人生の側面が待っている。考えていることと、実体を持った肉体とを擦り合わせていくこと、この無作為に与えられた命の乗り物を操作していくゲームへの参戦だ。


高らかに喇叭の音が鳴る。「実践」は本当に苦手だ。でもやらないで見ているだけなら生まれる必要はなかったし、自分は一度生まれてみたかったんだから、どんなものか分かるのもまた経験だ。これはこれなりにいいんだと思う。それは、世界に具体的に関与するチケットを持たされたということでもある。


わたしが存在することで、なにかに影響が出る、世界がよい方に変わる(願わくば)というのが生まれてみたいと思った初志なんじゃないかと思う。それを忘れないように。基本は遊びに来ているのだ、リアルに巻き込まれるために。さて、おもしろがっていこうじゃないか。


【進捗】


・家族の1周忌がGWに決まった。


・本を読む環境を整えるために必要そうな Amazon のグッズを検索して楽しんだ。


 ・蓄財はとりあえず証券会社に行ってから!


【満足】


・現状の不備で追い出されるよりも速く、未来を展望して華麗にジャンプする。


【希望】自分で勝負したい


・自転車なんとかしよう→駐輪場の契約だ


・自分を乗りこなす対応力を高めたい


・美容


・運動


 ・怖さの思い込みを外したい


・自分を「作品」にしたい


・系統だったものを選びたい


・人生の説明を分かりやすくしたい


・つじつまを合わせたい


→とにかく整理整頓



【泳ぐ思考】


うっかり東京を歩いている。恵比寿の用事の次は丸の内なんだけど妙に時間が空いている。7㌔の道をお散歩がわりに歩いてみよう。


広尾〜六本木〜麻布〜溜池。たいして歩いてもいないのに次の街次の街が現れて飽きない。わたしの職場は最寄りの駅から5㌔離れていてバスの便が悪いから、ときに何もない道を(畑のなかを)焦れて歩いたりする。同じ時間なのに見るものが違う。


畑の田舎っぽさと都会の洗練の違いもあるが、自分が「ああここはいい、のびのびする」と思うのはサイズの違いだ。


たとえば歩道。畑のなかの路肩の歩道の5倍はある。横断歩道の上だってぐんと広い。建物も大きい(六本木ヒルズや森アークビル)。


都会の物価を気にしてドトールに入ったけれど、席と席の間が離れてパーソナルスペースが広く取られているし、椅子は革張りだ。これで小岩と同じ値段のコーヒーを出すのか。家賃代はどうするんだ。単価が同じならもっと客数入れないと賄わないだろう。


ああいつもこういうところにいたい。あらゆる面で閉じ込められるのは大嫌いだ。人はゆとりを求めて田舎に行くという。断言するが、田舎は確かにだだっ広い。だが、何もないのだ。何もないってことは、あるもの同士がとっても近くで、密なのだ。それ以外ないんだから。


木曜日に、来年度の人事の配置替えがあって、いじめっ子のいるチームに配属されることが分かって昨日はメンタルに下がって寝込んでしまった。いま晴れた空の下、明るい暖かな「人工的な空間」で(田舎は自然の草や土に侵食されている)、箱の外を満喫している。


わたしたちはいつも箱の外に開かれている。箱とは他者が見る景色だ。無数の箱に閉口してたどりつく私の見る世界は誰もジャッジしない、あるがままの世界だ。ただ生きている喜びを邪魔しに来るな。いのちは短いのだ。


【進捗】


・恵比寿の用事は外人と英会話だった。英語を完璧に話す日なんて来ない。この課金した分が自分の英語力となって収入になるのだが、自転車操業もいいとこじゃないか?日本語だったら造作なく話せるのになぜ私は英語を教えることを選んだんだ?


・英語の本は読み続けている。146ページまで。推理小説なのでメモを取らないと登場人物と被疑者の関係、アリバイの整理がつかない。ジャンルの選択を間違えている。


 ・蓄財の整理整頓が頓挫している。生命保険にいくら投じるか悩みすぎて先週はろくに眠れなかった(4%の年利と史上最安値の円はどこまで相殺するのか)。


【満足】


・現状の不備で追い出されるよりも速く、未来を展望して華麗にジャンプする


→歩いている(動いている)とき不安から抜け出ることができる。現状逃避ではあるが、若者はだから一生自分が生きてられると勘違いできる。何十年も生きるビジョンを描いてその実現に勤しもう。生命保険を考えると自分の人生はあと20年くらいで、その範囲で何ができるかと切羽詰まった気持ちになる。どのみち死ぬのだ。戦々恐々としてそれが今日か明日かとまとめる方向ばかり気にするより、散々散らかしてる今を楽しむほうが最終的にちゃんと生きたって呼べるんじゃないか?


【希望】自分で勝負したい


・バイクのシーズンが始まる


 →朝ばたばたして自転車に乗り損ねた


・貯金と投資


 →NISA貧乏にならないように慎重に


・自分を乗りこなす対応力を高めたい


→「The Circle」のそもそもの参加者はコミュ力、言葉が上手な人が腕試しに来ているんだ。人間力は外見なのか?言葉なのか?誠実さなのか?そんなことを試す社会実験なのだ。ミスったらその都度手ばやく謝ってメンテナンス。人間関係はフットワークが軽いのも大事らしい。しみしみと消化している。しばらく新しいドラマを見たい気にならない。


→不愉快を受け止めない人でいたい


昨年度の人間関係を辛くも乗り切ったのは、まさにこのスルー力だったと思う。挑む者、罵詈雑言を言う者、人の評判を落とす者がいて大変だった。わたしが戦略として「天然」を採用している必要悪として引き受けるのは致し方ないと諦めてはいるが、しかし、腹立たしい輩たちだ。


→理想に足りない自分を労う


 ・怖さの思い込みを外したい


→信用する練習、ある程度のところまで修復させる練習をしよう 長生きしたいからな!


・自分を「作品」にしたい


・系統だったものを選びたい


・人生の説明を分かりやすくしたい


・つじつまを合わせたい


→とにかく整理整頓



【泳ぐ思考】

 

「ザ・サークル」配信されている分まで全部見終わった。

 

前回シーズン3までレビューしているのでその続きの感想から始めるのが筋かと思うが圧巻だったので全部総じて考えたことを書きたいと思う。

 

以下、ネタばれます。

 

シーズン7はプレイヤーの駆け引き、番組側の仕掛けの完成度が高かった。これは突然シーズン7を見ても分からないはずなので、見る人はやはり最初から見たほうがいい。

 

初期のプレイヤーは(少なくともシーズン3までは)とてもナイーブだった。というか、シンプルだった。シーズン1ではもっとも人格に優れた人に票が集まり、シーズン2では敵と味方がはっきりと別れて互いの交流は見られなかった。シーズン3でプレイヤーは相手に謝ることを覚えるが、シーズン4まで味方を裏切ることはまずなかった。


そこらへんまでは「なりすまし」と呼ばれる自分のプロフィールを偽るプレイヤーが悪とされて排除のターゲットにされた。黒人同士の結び付き(特に男女のペア)が特に強く、最後の5人(ファイナリスト)に選ばれる人が中盤で予測がついたし、途中から参加するプレイヤーはほぼ残ることはできなかった。

 

シーズン3の「なりすまし」は「なりすまし」なりに誠実で自分に自信がない者がなったものだった。が、シーズン4からは様相が変わる。番組に無理やり他人のアイデンティティを与えられてしまった者がそれでもゲームに勝つために策を練る。望まないフェイクにされてしまった者はその時点で自分の矜持を踏み越えてしまっているので歯止めがない。


裏切りをして終わってから「ゲームだったんだもの仕方がなかった」を悪びれる様子もなく言う美男美女の裏切り者は「かっこよかった」。


それを見て参加したシーズン5のプレイヤーのなかには真似をする者が出てくる。それでも裏切らない相手(特にマイノリティ同士)が小さいグループを作って壁を築き互いを守り合うのが勝ちへの王道になっていた。

 

シーズン6から舞台はアトランタに変わり、意匠も変わる。黒人の数が圧倒的に減ったことに驚いた。新規に参入するプレイヤーの数が減り、比較的初期からいるメンバーのなかだけでメンバーの精選と排除がメインになる。人気のある人を残すのではなく、人気のない人を追放して相対的に自分を勝たせようとする動きが出る。がんじがらめになった人間関係のなかで揉めるたびにあとから謝る気遣いの人が勝った。


そしてこのシーズンは勝つためにウソをつく者が現れる。それも「勝つために仕方がなかった」として許されようとする。人づてに「あの人がこう言っていた」と聞く情報が真っ赤なウソなのだ。存在がウソだけれど言っていることはホントなほうが1000倍マシだ。さすがにこれはダメだろう。


そのデマだらけのなかで勝利することができたのは、他所からデマを吹き込まれても「あの人に限ってそれはない」と相手を信じることができた者だった。自分自身も世渡りだからとウソをつき、口先の友情を何度も吐きながら、きちんと守るものを見分けていたのだ。


政治もここに極まれリ。かつては敵対した相手とあらたに交渉して味方につける入れ替えが行われもはや誰が味方か分からないなかで信じられる人を見つけるアンテナと振り切る勇気。


自分は人を信じないことで安寧を得ているが、ちゃんと見極める気概を持つことが大事なんだと思った。人間不信などと言ってはいられない。ちゃんと!袂を分けた人間とも!ふたたび何度もアプローチして!作っていくんだ。新しい明日を自分の手で!

 

【進捗】

・スマホのゲームを止めることを止めた。というか、「サークル」の視聴が忙しくてやっている暇がない。

・週末に外人に日本語を教えるボランティアを始めたが、連休でお休みなので息継ぎ

 

【満足】

・現状の不備で追い出されるよりも速く、未来を展望して華麗にジャンプする

 →前に進む原動力 負けるな女の子

 

【希望】自分で勝負したい

・キャリアに日本語を組み込む

 →国語の免許も取ってみる?

・バイクのシーズンが始まる

 →週末は自転車優先にしよう

・貯金と投資

 →NISA貧乏にならないように慎重に

 

・自分を乗りこなす対応力を高めたい

→言葉を磨く

→不愉快を受け止めない人でいたい

→理想に足りない自分を労う

 

・怖さの思い込みを外したい

→とりあえずやってみよう

 

・自分を「作品」にしたい

・系統だったものを選びたい

・人生の説明を分かりやすくしたい

・つじつまを合わせたい

 

→とにかく整理整頓