夏に母が他界してから、4ヶ月が過ぎた。年の瀬に、この間の事を覚え書きとして残しておきたいと思う。

 

昨年秋から入居していたグループホームでの生活にもすっかり慣れ、今年3月には無事に90歳を迎えられた。

 

心臓の状態が悪く、普通の人の動きが「グーパー」ぐらいだとしたら、「指が震えているぐらい」しか働いていないとの事。他に持病もないから、いつか自然に力尽きる事となるだろう、との医師からの話に、その日がいつ来ても良いように、常に心の準備をしていた。

 

とはいえ、誕生日には、コロナの出始めではあったものの、外出を許されたので、母の大好物の鰻を食べに行き、一人前をペロリと平らげ(ご飯は減らしてもらったが)、鰻巻きも、デザートの抹茶アイスも食べきった姿を見て、「まだまだいけるな」と思った。

 

20分後の車の中では、すでに何を食べ、何のための外出だったかなど、全て記憶の果てではあったけれども、それはそれ。嬉そうな顔で、全て良しとする。

 

4月ごろから、ついに歩行困難となり、車椅子の生活となる。要介護4。特養(特別養護老人ホームの略)への申し込みをする。

 

グループホームは認知症の人しか入れず、「歩いて行動できる」事を基本としているので、トイレやお風呂などが車椅子状態の人への対応になっていない。それだけに、トイレひとつをとっても、何人ものスタッフの方の手をわずらわせてしまう。このまま居ると、迷惑をかけてしまう……。

 

でも、待機人数100人、と言われている特養。果たして母が存命のうちに入る事ができるのか? 「ま、その時はその時。声がかかるまで、安心してうちに居ていいからね」との所長さんの言葉に、すがりつく思いだった。

 

しかし、さすが母は強運の持ち主。よく月には連絡が入り、諸々の手配をすませ、6月最終日、特養の住人となったのだった。

 

母に、ホームを移動する事を理解させるのは難しかった。居心地の良いこの場所から、どうして変わらなければならないのかが理解できない。私の説明に納得したように見えても、5分後には忘れてしまい、再度「なぜ?」となる。

 

しょうがないので、もう移動する理由の説明はやめた。

幸いな事に次に移った特養は、父の菩提寺から歩いて10分もかからない所にあった。なので、「移ると、パパのお墓のそばになるからね。お墓参りに行かれるね。おしゃべりできるよ。嬉しいね〜」と話すと、にっこりして「楽しみ〜」となった。これで安心したようだった。クリア!

 

ただ、行ってみて驚いた。コロナのせいで、面会はひと月1回10分との事。あとはリモートでの面談。これにもまた予約が必要となる。

 

これまでのホームは所帯が小さかったから、いつ行っても会えた。特養は所帯がぐんと大きいため、そうはいかない。しかし、違った環境に入り、急に知った顔と会えなくなるのはあまりにも母がかわいそう。そこで策を練る。お墓参りだ。

 

お寺までは車椅子で往復しても30分弱。道中は住宅街なのでほとんど人と会わずに済む。それならどうか? OK!

2週間に1度を許された! これで、7月中は3回は会える。あとはリモートで何とかしよう。

 

この夏は梅雨明けから急激な猛暑となった。それと同時に、母はどんどんと弱っていき、食事もままならない状況となってきた。「お母さんのお好きな味付けで、お好きなものを持ってきてください。ただ、咀嚼がほとんどできないので、柔らかいもので」との要請が届く。

 

ヨーグルトやポタージュやユルめの茶碗蒸しや……。あれこれ知恵をしぼって3食分毎朝届けると、それを1時間かけて食べさせてくださっていたらしい。本当にありがたい。

 

特養のシステムにもいろいろあるが、母が入居した所は看取りをせず、危なくなったら提携している病院へ救急搬送されると聞いていた。コロナのこの時期に入院となったら、つきそうどころか見舞いもままならない。出来ればここで静かに最期を迎えさせたかった。

 

そんなこちらの意図を汲んでくださり、特養から提案を受けた。滞在型の現在の契約からショートステイ型の契約への変更だ。そして、新たにケアマネージャーと24時間体制をとっている医師と契約をする。母に何かあった場合は、特養から医師へ連絡が入る事になるのだという。

(滞在型の場合は、特養所属のケアマネージャーの管轄になるが、ショートステイだと管轄から外れるので、別のケアマネージャーが必要となる。母は、ホームに入る前にお世話になっていた方にお願いをした。

また、24時間体制をとっている医師との契約は、自宅で介護をしている場合も必要で、容体が悪化して救急で搬送された先の医師では、死亡診断書を書けず、警察での検死が必要になる場合もあるとの事だ。)

 

あれこれと手配を済ませ、あちこちと契約を進め、ショートスティ型への変更が無事に終了した3日後、母が危ないと、連絡が入った。

 

本来だったら、家族が部屋へ入る事は許されていない状況だった。しかし、「館内を歩き回らない事」を条件に付き添いも許可してもらえた。兄が昼間、私が夜、詰める事となる。

 

「今日、明日」と言われていたのに、もうあと1日頑張って、母はひとりで逝く事なく、静かに息をひきとった。

 

その後、葬儀や四十九日と続き、今は残された家の片付けを粛々と行っている日々だ。

 

今思い返すと、関わってくださった方々への感謝しかない。

ケアマネージャー、デイホームの方々、グループホームの方々、特養の方々、葬儀社の方々……。

どの方達もプロフェッショナルとしての教育を受けているとはいえ、人柄は滲みでるもの。温かい言葉や、さりげない気遣いに、どれだけ救われたか知れない。

 

そして、そういう方達に巡り会えた事も、心からありがたかったと思う。

 

ご自宅で介護をされておいでの方達に比べれば、私のした事などは本当に大した事ではない、とは重々承知。とはいえ、やはり、特にこの2〜3年は眠れない日が続き、とてもしんどい日々だった。ケアマネさんはじめ皆さんがいなかったら、とても乗り越えられなかった、と思う。

 

ただ、そろそろ私の人生も終息方向へと近づいている今、母の介護の日々は、私のこれからへのリハーサルだったようにも感じている。しんどかったけれど、学ぶ事は山盛りだった。向き合って良かった。

 

とりあえず、毎日スクワット。そして柔軟体操。

食事は腹7分目。お酒の飲み過ぎは要注意!

 

そして、歩く。犬と一緒に。ひとりでも。

足腰は、ホント、大事だから!!